石堂輝秀作 寸八鉋 銘「輝秀」

                            













十代目石堂輝秀
(菊池清一 明治三十三年〜昭和五十
七年


石堂家は江戸時代から続いている家柄
で、明治になって、刀鍛冶から大工道具
に転向した家系です。その石堂家の九
代石堂秀一の元へ十三歳で弟子入りし
たのが石堂輝秀。

石堂秀一(石堂眞勇美)は父親である八
代石堂是一の元で従兄の千代鶴是秀と
ともに修行を積んだ名工です。

輝秀は明治、大正、昭和の三代を生き、
石堂家の鍛冶の伝統技をよく今に伝え
ています。

輝秀の仕事は大きく分けると「秀一」の
作風を踏襲した昭和八年までを第一期、
主に刀剣を製作していた昭和二十年ま
でを第二期、そして独自の作風を確立
した戦後を第三期と見ることが出来ます


この鉋は近所の90歳になるもと大工の
棟梁が仕上げに使用していたもので、
戦後暫くして知り合いの刃物屋が持っ
てきてくれたものだそうです。銘などに
は全く無関心で、「切れるから仕上げに
使ってた」とは老棟梁の言。

鉋は切れて使えて当たり前、朝から晩ま
現場で鉋がけをしていた時代にはその
機能性だけが厳しく問われたわけです。
銘がどうであろうと、刃こぼれする、直ぐ
切れが止まるでは死活問題なのです。

銘は後から付いてくる。先ず切れるか切
れないかなが問題で、大工仲間で評判
になれば、「その鉋使ってみようかな」と
いうことで、「何という鉋」ということになる
わけです。

「この鉋、もう使わなくなったので、そん
なに有の通った鉋ならあんたにあげるよ
」と長年大切に使ってきた鉋を頂戴した
もの。



























                              参考文献 : 季刊「江戸っ子」1983年38号

                                       「千代鶴是秀」白崎秀雄著
                                       

         

                                      



   
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