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東海地方

尾張(愛知県)

初代土佐藩主となった山内一豊の生まれた城

尾張 黒田城[くろだじょう]  (平 城) 【所在地】 愛知県一宮市木曽川町黒田字古城

築城時期:  明応年間(1492〜1501) 築城者:  五島源太左衛門光正

くろだ じょう 黒田小学校の敷地となっている 黒田城址

 遺 構  《 模擬/冠木門 》
 黒田城址は、司馬遼太郎氏の『功名が辻』で描かれ、2006年のNHK大河ドラマの片方の主人公として放送された土佐20万石初代藩主の山内一豊の出生地である。

 現在、黒田小学校の敷地となっている黒田城址は、尾張国と美濃国を隔てる木曽川の川島地区にほど近く、名鉄名古屋本線とJR東海道本線に挟まれ、黒田城址の石碑などはJR東海道本線側の北東角に在ります。
 線路際には模擬冠木門が作られ、歴史看板や城址碑、さらに一豊立志像が置かれて綺麗に整備され、駅近くを通る人にも充分目に留まる造りになっています。

 また、線路反対側の北東にある法蓮寺には、「山本一豊出生地之石碑」が門前にあり、父盛豊と兄十郎の墓があります。


 黒田城は、明応年間(1492〜1501)に相模国より移住した五藤源太左衛門光正が居館程度のものを築いたのが初めてであるといわれている。

 岩倉城(岩倉市本町)を本拠とした織田伊勢守家の家老であり、山内一豊の父である山内但馬守盛豊が天文年間(1532〜1555)初期に城代として入城した。
 1545(天文14)年、山内一豊が盛豊の三男として、この地で誕生している。

 盛豊が仕えた岩倉織田氏と傍流ながら勢力を強大化させた織田信長とが対立、1577(弘治元)年、信長軍の襲撃により一豊の兄・十郎は討死した。
 1559(永禄2)年には岩倉城も信長によって落城させられ、一豊の父・盛豊も戦死し、その後、山内一族は一豊が豊臣秀吉のもとで立身するまで、離散流浪することとなる。

 その後、犬山城主織田信清の弟・織田広良が城主となるが、広良の戦死により信清の家臣である和田新助が城主となった。新助が“長島一向一揆の戦い”で討死すると弟の和田定教が継いだ。

 1582(天正10)年の“本能寺の変”後、織田信雄の家老であった沢井雄重が入城する。
 1590(天正18)年、織田信雄が転封を拒否して改易されたのに巻き込まれて沢井雄重も禄を失い、黒田城には3万5千石で一柳直盛が入った。
 1600(慶長5)年の“関ヶ原の戦い”の戦功で直盛は伊勢神戸城へ5万石で移封される。

 その後、黒田城は尾張国を所領とした松平忠吉(家康の四男・徳川秀忠の同母弟)の持城となったが、しばらくして廃城となった。

城址碑(黒田小学校) 一豊立志像(黒田小学校)
1998(平成10)年、一豊顕彰会により寄贈された
北東近くの法蓮寺に建つ
山内一豊出生之地の石碑
住所:木曽川町黒田字勘治西60
山内一豊の父と兄の墓(法蓮寺)
兄は1557(弘治3)年に黒田城で夜襲に遭い死亡。父・盛豊は1559(永禄2)年に岩倉城の落城時に討死したとされる

登城アクセス
 車  : 名神高速〜一宮JC〜東海北陸道〜一宮木曽川IC〜左折/大手西〜
  東海道本線の線路を渡り直ぐに右折〜

駐車場 : なし


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