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東北地方

磐城(福島県)

東北の雄伊達家を意識した奥州相馬氏の土の城

磐城 相馬中村城[そうまなかむらじょう] 別称=馬陵城 (平山城) 【所在地】 福島県相馬市中村字北町

築城時期:  1611(慶長16)年 築城者:  相馬利胤

そうまなかむら じょう 外大手一の門
相馬義胤が城番だった武蔵川越城のものを模して作らせたもの
1649(慶安2)年完成の現存門

 遺 構  《 現存/城門  遺構/曲輪・土塁・空堀・水濠・堀切・井戸 》
 相馬中村城は、西の阿武隈山地から伸びる比高15m程の小丘陵に築かれた梯郭式の平山城である。
 南面に流れる宇多川を天然の外堀とし、この水を引いて北面・東面に水濠が配される。尾根続きの西面は、堀切と切岸で防御されている。
北面に水濠を中心とした地形的障害を多く用い、北と東を堅固にした仮想敵・伊達氏を意識した構えとなっている。
 戦時には堀を切って城の北側500mあまりを一面の沼沢地にすることができたとも言われる。

 基本的には土造りの城であるが、本丸などの要所には石垣の使用が認められる。
本丸を中心に東・西・南・北それぞれに方角を冠する二の丸が配され、さらに東・西・北に配置される三の丸が二の丸を囲み、水濠や土塁によって巧みに防御されている。
 比較的小さな城でありながら、効率よく曲輪が配置された城郭である。

 本丸南西隅には三重天守が築かれていたが、1670(寛文10)年の落雷焼失後は再建されず、ほかの建物も明治に破却されており、外大手一の門が唯一の城郭建築として現存する。
西側に妙見曲輪が四面を堀と切岸に囲まれた独立した曲輪としてある。妙見曲輪は現在相馬妙見社(中村神社)の社殿となっている。 

 城下町は城の東に発達し、城下町特有のクランク状の道割が多く残っている。
 城址は馬陵公園として整備され、相馬市周辺で毎年7月23日から3日間開催される「相馬野馬追祭り」の祭場地の一つである。


 平安時代初期の延暦年間(800年頃)に奥州鎮撫のため坂上田村麻呂が最初に築いたとされるが定かではない。

 南北朝時代の1337(延元2)年には、周辺を支配した中村朝高がこの地に「中村館」を構えた。以後、戦国時代まで中村氏の支配が続いた。

 中村氏に代わって相馬盛胤(13代)が相馬地方に権勢を振るい、戦国期には芦名・佐竹・伊達の勢力争いの中で佐竹・芦名に近い立場を維持。1563(永禄6)年、次男の隆胤が中村館に入城した。
相馬義胤は秀吉から領地を安堵されるが、“関ヶ原の役”で佐竹家と同一行動をとり西軍方と見なされ、いったん領地を没収される。

 その後、義胤の子の利胤(17代)が徳川家康から旧領復領を許され、1611(慶長16)年に小高城より本拠を移し、相馬中村藩6万石の藩庁となった。
同年、利胤はただちに近世城郭への改修を開始し、梯郭式の相馬中村城が完成し、相馬氏の治封は明治まで存続した。

 奥州相馬氏は、鎌倉時代初期の武将・千葉常胤の次男である相馬師常が相馬御厨(千葉県のかつての相馬郡一帯)を相続されたことに始まり、その後の家督争いから、重胤(6代)の代に所領としていた陸奥国(磐城)行方郡に入って興したものである。なお、相馬氏は下総、陸奥の他にも分家、諸族は日本全土に拡散している。

 平将門に連なる名門の相馬家(伝承によると相馬師常は平将門の子孫である篠田師国の養子とされる)。南北潮時代からこの地に君臨し続けた奥州相馬氏は、中世からの所領を転封されることもなく、近世大名の藩として明治まで存続した数少ない家の一つである。

馬陵公園の駐車場となっている東三の丸跡
通称は御厩と呼ばれ、もとは重臣泉氏の屋敷であったが、後に南二の丸から馬屋が移され、御厩別当馬場氏が
代々居住していた
東三の丸南側の水濠
を西から東方向に見る
東三の丸南側の水濠越しに
東向きに建つ大手一の門を見る
広大な南二の丸
サッカー場として使用されている
大手二の門跡
左端の鳥居は南二の丸跡の北端を通る
相馬中村神社への参道部分です

大手二の門跡近くにある城址碑
Aの馬出し(余湖図)と本丸とを接続する木橋
本丸側には石垣が積まれている
野球場として使用されている東二の丸跡
古くは中館ともいわれ、1674(延宝2)年から1783(天明3)
年頃までは御殿があり、藩主の私邸となっていた
Aの馬出しに上がる石段 前述のAの馬出しと本丸との間を繋ぐ木橋

本丸入口にある馬陵城の城址標柱

本丸跡に鎮座している相馬氏の祖を祭神としている
相馬神社
西南隅には1611(慶長16)年にあげた三重天守があったが、1670(寛文10)年に落雷焼失し、以後再建される
ことはなかった

搦手近くの本丸西側下部の西二の丸との間の水濠
西二の丸から見た本丸西側の城塁
石垣は鉢巻でもなく腰巻でもない、しいて言えば
腹巻石垣となるのか?
西二の丸跡
相馬野馬追祭りの馬のための馬場工事が
行なわれていました
搦手門の跡
ここも枡形だったと思われます

北野天満宮
西二の丸の一角の妙見曲輪にある相馬中村神社
藩主相馬氏の氏神である「妙見」を祀ってあり、
1643(寛永20)年の創建
北野天満宮の入口には馬が繋がれていました
名前はマロン号、人参をあげたら喜んで食べてくれました
相馬中村神社の境内にはポニーの姉弟がいました
西二の丸北面の土塁 西二の丸北面の東端に設けられている枡形虎口
ここには西側にも設けられ、合計二ヶ所の枡形虎口がある
西二の丸から北二の丸に至る通路部分 北二の丸の様子
西三の丸北側から蓮池に至る入口
ここは枡形と馬出しが接続するような形態となっています
北西角より蓮池を見る
北三の丸(岡田館)南西の門
門と石垣は個人宅のものなのだろう
外蓮池門跡の枡形
内側に積まれた石垣は本来のものなのかどうか
北三の丸北側の外堀 外蓮池門跡南側の堀
蓮池東端部と通路を北から南に見る
左側には土塁が盛られている
東二の丸北側の堀
東二の丸東側の水濠
橋は野球場への出入のもので後世のものです
東三の丸南側の水濠際のフェンスにあった
「相馬野馬追」のレリーフ

余湖図コレクション 相馬中村城 出典元
余湖図コレクション
余湖くんのお城のページ」−「相馬中村城」のページに掲載されているものを借用させていただきました

見取図
(現地案内解説板より)

参考サイト 余湖くんのお城のページ 余湖 殿 独特のタッチで描かれた2,000城以上掲載の
「余湖図コレクション」は圧巻です

登城アクセス
 車  : 東北道福島西IC〜右折/インター出口〜国道115号線〜左折/鳥谷野
  〜国道4号線〜右折/岩谷下〜中村街道・国道115号線〜中村第一
  小学校前〜

駐車場 : 中村馬陵公園の専用駐車場を利用


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