| 東北地方 |
| 岩代(福島県) |
阿武隈の急流に浸蝕されていた城、現在は県庁に
岩代
| 築城時期: 不明 | 築城者: 不明 |
残存土塁の一部
県庁舎南(裏)側にあり |
| 遺 構 《 遺構/土塁・庭園 》 | |
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現在、福島県庁が立地している一帯が福島城跡である。平城ではあるが、城の東方と南方は阿武隈川や荒川が流れており、阿武隈川に臨む河岸段丘上に築かれた城であり、天然の要害でもある。
板倉氏により整備された近世城郭としての福島城の総面積は約25ヘクタールで、天守閣はないものの三万石の大名の居城としては大規模なものであった。
福島県庁の東側にある紅葉山公園は福島城内にあった庭園の跡である。さらに、福島県庁の裏(南)側と、県庁北側の福島第一小学校の校庭の端には土塁が残されている。 城址が川べりに存在し、現在が県庁となっているのは前橋城と同様であるが、石垣を伴わない土塁造りの城として、県庁敷地となるような中枢部にありながら、土塁だけでも残されているのは奇跡のようなものであろう。
1413(応永20)年、伊達持宗が大仏城に立て篭もり、関東公方足利持氏に背いたとの記録があり、のちに杉目城と改称されたが、戦国時代末まで伊達氏の居城であった。
1592(文禄元)、豊臣秀吉の奥州仕置により伊達政宗が去り、蒲生氏郷の会津領に組み込まれると、その家臣・木村吉清が大森城から居を移して入り、杉目城を福島城と改称した。
その後の上杉景勝時代には本城繁長が城代を務め、一時天領となるが、1679(延宝7)年、本多忠国が福島藩15万石の領主として福島城へ入った。
1702(元禄15)年、信濃坂木(坂城)より板倉重寛が3万石で入り、以来幕末までの約170年間板倉氏12代の支配となる。
幕末の戊辰戦争時、福島藩板倉氏は奥羽越列藩同盟に参加して薩摩・長州を中心とした西軍と戦い降伏。明治2(1869)年、板倉氏は三河国へ転封され、福島藩は消滅した。
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県庁舎前(北)側の県庁専用駐車場
かつてこの場所には本丸御殿が置かれていました |
福島県庁
城址の大部分は福島県庁関連の施設で占められています |
県庁入口には「大佛城址」の地味な碑が置かれています
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その脇に「福島城址」の碑こちらは2002(平成14)年建立と随分新しい |
重厚な土塁を上から
県庁舎裏(南)側に残されています |
唯一の遺構だが結構続いています石段は後世の改変と思われる |
西門跡南土塁
阿武隈川寄りの一番端の部分(杉妻会館の東南側)です |
西門跡南土塁の近くから見た阿武隈川
蛇行して、城址北東部分を抉るように流れています |
県庁舎横(東)の紅葉山公園 二の丸御外庭と呼ばれた城の庭園であった |
紅葉山に置かれている大佛城跡出土(県庁西庁舎南の土塁近く)の宝塔で、弘安6(1283)年と刻まれた 大佛城の名の起こりを示すものです 隣の石塔は鎌倉時代の板碑で、大正13(1924)年、 松齢橋工事中川底から発見されたもの |
杉妻稲荷神社
杉妻城の艮(うしとら/東北)の守りとして市役所分庁舎の 北通りに鎮座していた産土神で、建物は1840(天保11)年 の再建で、明治の初めに現在地に移築された |
板倉神社
福島藩の初代藩主・板倉重昌を祀って、1805(文化2)年、 城内に造営された。明治に入り、板倉家が三河国重原に 移った後の明治13(1880)年、紅葉山庭園の築山のあった この地に御分霊を祀り拝殿を建立した |
この辺りは阿武隈川に沿い、弁天山を借景とした城の庭園の一部で、明治末には偕楽亭という料亭が あったところです |
阿武隈川に架かる大仏橋を走る国道4号線は、かつての三の丸の中央を縦断しています |
現在の知事公館のある辺りは、かつて宝蔵や東門があったところです |
知事公館の門の北側にある本丸跡の碑
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「板倉家御歴代記」附図による三万石支配時代の復元推定(元禄〜幕末)
(現地案内解説板より) |
| 登城アクセス | |
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車 : 東北道福島西IC〜右折/インター出口〜国道115号線〜左折〜県道・ 荒川橋〜右折/JA中町局角〜福島県庁〜 駐車場 : 福島県庁前の県庁専用駐車場を利用 |
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