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近畿地方

播磨(兵庫県西部)

東に位置する三つの池を堀として利用する構造の陣屋

播磨 小野陣屋[おのじんや]  (陣 屋) 【所在地】 兵庫県小野市西本町

築城時期:  1653(承応2)年 築城者:  一柳直次

おの じんや 陣屋跡地に残る 雁又中の池

 遺 構  《 現存/土塀の一部 》
 小野陣屋は、丘陵の先端部に築かれていて、北側(小野高校敷地方面)を除いた周囲三方が断崖になっている。さらに東側にはかつて三つの池があり、堀の代用とされていた。

 現在、陣屋跡は小野小学校の敷地や磐代神社、小野市立好古館となっていて、小学校正門前に石碑と案内板が置かれている。他に陣屋南西の竹門付近に僅かに土塀が現存している。

 小野小学校の東隣にある好古館には、小野陣屋や一柳氏関連の各種資料や小野市内にある中世古城に関する史料等が展示されているので訪れてみるとよい。


 1636(寛永13)年、一柳直盛(小田原参陣の伊豆山中城攻めで討死した一柳直末の弟)は念願かなって、伊勢神戸から故地である伊予西条6万8千石に転封となる。
 しかし、無念にも直盛は赴任途上の大坂で病没してしまったため、その遺領は、長男・直重が伊予西条3万石、二男・直家に伊予川之江及び播磨国加東郡を合わせた2万8千石、三男・直頼が伊予小松1万石として幕命により分領された。

 1642(寛永19)年、播磨国加東郡小野に采地陣屋を構えていた直家は臨終に際し、但馬出石城主・小出吉綾の二男直次を女婿に迎え、跡目相続を願い出た。だが、許可前に没したため伊予川之江の所領は幕僚として没収され、直次は播磨国加東郡1万石のみ相続が許された。
 そして、1653(承応2)年、領内小野ヶ原の丘陵に新陣屋を築いた。
 以後、10代にわたり一柳家はこの地を領して明治維新を迎えた。

 なお、伊予の名流・河野家末裔の一柳氏は、 直家の兄の伊予西条藩が改易絶家となってしまうので、この播磨小野藩の一柳家が宗家となる。

小野小学校正門近くの陣屋跡石碑と説明板 陣屋跡地の一部に建つ小野小学校の正門
小野藩一柳家の氏神として建社された磐代神社 雁又上の池を埋立てた跡に整備された雁又池跡公園

小野陣屋 現況との比較配置図

登城アクセス
 車  : 山陽道三木小野IC〜左折/三木小野ICIC出入口〜国道175号線〜
  左折/樫山〜県道18号線〜左折/本町〜左折/小野西本町〜右折/神戸
  電鉄栗生線・小野駅前〜雁又池跡公園〜

駐車場 : 雁又池跡公園の無料駐車場を利用


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