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近畿地方

播磨(兵庫県西部)

京都と西国を結ぶ丹波道の要衝に構えられた陣屋

播磨 三草陣屋[みくさじんや]  (陣 屋) 【所在地】 兵庫県加東市上三草

築城時期:  1742(寛保2)年 築城者:  丹羽薫氏

みくさ じんや 陣屋跡地に隣接して残る 武家屋敷・旧尾崎家

 遺 構  《 遺構/井戸  現存/武家屋敷 》
 三草の地は、京都と西国を結ぶ丹波道の要衝に位置し、平安時代末期の“源平の合戦”の一つで、“一ノ谷の戦い”の前哨戦となった戦い、源義経軍が三草山の西に布陣する平資盛軍らを夜討ちで破り、屋島に敗走させた“三草山の戦い”で広く知られている。
 三草陣屋は、この三草山の南、三草川を自然の堀として松林を切り開いて築かれたという。

 今日、陣屋跡には、近代的な「やしろ国際学習塾」が建てられ、敷地内の玄関脇には陣屋跡の石碑が置かれ、また陣屋井戸が保存されている。
 この学習塾の北側に隣接して、三草藩家臣の武家屋敷が残り、近代的な学習塾と対比して、この一帯には、陣屋が構えられた名残がわずかに残っている。また陣屋稲荷神社も現存する。


 1739(元文4)年、越後国頚城郡高柳藩(新潟県妙高市高柳)主・丹羽薫氏が大坂定番に任じられ、摂津河内を経て、1746(延享3)年、さらに播磨三草1万石に所領を移され、三草に陣屋を構え、ここに三草藩が成立した。

 この丹羽氏は戦国時代、織田氏の家臣であったが、織田信長の重臣であり二本松城主となる丹羽長秀(子は長重)の家とは別家である。
 三草藩丹羽氏の祖先は、戦国時代の尾張岩崎城主で、“小牧・長久手の戦い”において戦功を拳げた丹羽氏次・氏重兄弟であり、織田氏から徳川家康の下へ奔りその家臣となった譜代大名である。

 丹羽氏は、高柳藩時代より参勤交代を行わない江戸定府の大名であった。三草丹羽氏は6代続いて明治を迎える。

陣屋跡地に建つ「やしろ国際学習塾」 学習塾構内にある陣屋跡石碑
学習塾構内に残る陣屋井戸 学習塾構内に置かれている陣屋跡の説明石碑

登城アクセス
 車  : 中国道滝野社IC〜左折/滝野IC出入口〜左折/上中〜左折/藤田〜
  国道372号線〜左折/住吉神社前〜三草川・三草橋〜右折/三草橋北袂
  〜市道〜やしろ国際学習塾

駐車場 : やしろ国際学習塾の無料駐車場を利用


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