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近畿地方

播磨(兵庫県西部)

因幡街道と作州街道が交わる乃井野地区にある陣屋

播磨 三日月陣屋[みかづきじんや] 別称=乃井野陣屋 (陣 屋) 【所在地】 兵庫県作用郡作用町乃井野

築城時期:  1697(元禄10)年 築城者:  森長俊

みかづき じんや 復元された 物見櫓と中御門
陣屋正面には長屋門、中御門、通用御門の三門が配されていた

 遺 構  《 遺構/石垣・堀  復元/物見櫓・陣屋門・長屋・木橋 》
 三日月陣屋は、因幡街道と作州街道が交わる作用町(旧作用郡三日月町)の乃井野地区にある陣屋である。
 千種川の支流である志文川を外堀とし、背後を山に囲まれた地に陣屋は構えられた。日岡八幡宮の境内の一部を削り、大圧屋井上家を移転させて、その邸宅をあわせて陣屋を築き上げた。
 藩士の屋敷地は、陣屋の堀と志文川との間に配された。約三百軒のサムライ屋敷が見られ、ここを郭内と総称した。入口は東側の中央部分で、厳重な枡形を呈している。

 陣屋南の三方里山には、石垣で囲まれた演武場(練兵場)が幕末に築かれた。いわゆる詰城としての役割を担わされたものである。

 陣屋跡地は、現在、御殿部分が発掘調査後に埋め戻され、それ以外のところは農地となっている。
藩政時代の町割図によると、陣屋西側に森家を祀る列祖神社と、陣屋の守護社・日岡八幡宮があり、ともに陣屋の一曲輪を構成していた。

 平成15(2003)年、公民館として利用されていた物見櫓と長屋・陣屋門が陣屋の元の位置に復元され、城郭造りの陣屋の勇姿がよみがえった。


 1697(元禄10)年、三日月陣屋は森長俊によって築かれた。長俊はそれまで、美作津山藩主・森長武から美作のうちに1万石の新田領を分知されていた。
 1697(元禄10)年、“本能寺の変”で、織田信長に殉じた森蘭丸、坊丸、力丸の弟の森忠政を藩祖とする美作津山藩の森家宗家は、4代長成が早世し、相続した5代衆利が同年発狂したため 除封された。この時、分家の長俊の領地は播磨国内1万5千石に移されて三日月藩が立藩した。

 以来、三日月藩森家は、9代170年間この地を領した。なお、戊辰戦争には官軍として越後へ出兵した。

向かって東端(右)に位置する通用御門 向かって中央に位置する中御門
向かって左方(西寄り)に位置する物見櫓
平成15(2003)年、公民館として利用されていたものを
長屋とともに、陣屋の元の位置に復元された
復元された建物群を西から東に見る
手前は三日月陣屋館(資料館)への入口部分です
復元された建物群の西端に設けられている
三日月陣屋館(資料館)
中御門と木橋
奥は通用御門です
復元された建物群を裏(北)側から見る 復元された建物群裏(北)側の
陣屋跡地および藩主屋敷跡
陣屋の南方約200mの練兵場跡地
練兵場は明治維新前に造営されたが
現在は「三方里山公園」として整備されている
三方里山公園の片隅に残る
練兵場の名残の石垣
練兵場跡の三方里山公園より見下ろした陣屋跡

陣屋および周辺 配置図
幕末から明治初期の頃のようす

登城アクセス
 車  : 中国道作用IC〜右折/作用IC出入口〜国道373号線〜左折/上町〜
  国道179号線〜左折/播磨徳久駅前〜左折/三日月中学校入口〜右折/
  日岡八幡神社前〜

駐車場 : 三日月陣屋の駐車スペースを利用


「作用町」 公式HPへ

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