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近畿地方

播磨(兵庫県西部)

因幡街道最大の宿場町に、幕末に置かれた代官所の表門が残る

播磨 平福陣屋[ひらふくじんや]  (陣 屋) 【所在地】 兵庫県作用郡作用町平福

築城時期:  寛永年間の(1631〜1644年)の間 築城者:  旗本・松平康朗

ひらふく じんや 近くの陣屋跡地から移築された 陣屋表門
桁行7間(約7.6m)、梁間2.5間(約4.6m)、切妻屋根の本瓦葺

 遺 構  《 遺構/なし  移築/陣屋表門 》
 平福は兵庫県佐用郡佐用町にあり、しばしば時代劇のロケ地にもなっている赤茶色の土蔵と川屋敷が建ち並ぶ「川端風景」で有名な旧宿場町である。秋から冬の朝霧の名所としても知られる。
 この地は、室町時代には赤松氏の拠点で、江戸時代初期に築かれた利神城の城下町を起源とする。 一国一城令による利神城廃城のため城下町としての歴史は短かったが、その後、平福陣屋や鳥取池田藩の本陣などが置かれ、因幡街道最大の宿場町として発展した。

 また高瀬舟が坂越から千種川を遡って支流の佐用川のこの地へ海産物などを運び入れたことで商業が隆盛、その1.2kmの区域の300戸余りの家の約8割に屋号がつく商人の町となった。
 今日、旧街道沿いにある連子窓と千本格子を持つ古い家並みと、水運で賑わった佐用川沿いの石垣上の川座敷と土蔵群が往時の面影を伝え、昭和58(1983)年に制定された歴史的環境保存条例の保存区域指定を受けている。
 ゆったりした作用川の流れ、時が止まったかのような山間の宿場町、この風情が、癒しの回廊「山陰路」と呼ばれる由縁であり、ここを訪れる人々にほのかな安らぎと潤いを与えてくれる。

 道の駅「宿場町ひらふく」の近くに平福陣屋跡(現在は郷土資料館)があり、道の駅の南側隣には、江戸時代末期に代官の佐々木平八郎が構築した陣屋門が移築保存されている。


 城下町として栄えた平福は、1631(寛永8)年、最期の城主・池田揮興(輝政の六男)が播磨赤穂に移って利神城は廃城となった。

 1640(寛永17)年、平福の地は旗本・松平康朗5,000石の所領となり、代官支配としての陣屋が構えられる。

 1824(文政7)年に起こった但馬出石藩の“仙石騒動”に連座して、翌年、幕府領になりますが、1863(文久3)年、旧領のうち2,500石が松平氏に復し、明治維新まで続いた。
 代官・佐々木平八郎により造営されたと伝わる代官所の表門(陣屋門)は、文久3年の旧領戻りに際して建てられたと考えられている。


 この地は、宮元武蔵が十三歳にして初めて真剣勝負を挑み、相手を倒した場所として知られている。

 武蔵は1584(天正12)年、父・平田無仁斎、母・於政の間に生まれたが、間もなく生母と死別。無仁斎は利神城主・別所林治の娘・率子(よしこ)を後妻に迎える。
この義母に育てられた武蔵は、七歳の時父と死別、母・率子は平福に帰り田住政久の後妻となる。幼少の武蔵は、母恋しさのあまり、しばしば義母の居る平福を訪ねる。
九歳のころ正蓮庵の僧・道林坊にあずけられ、その訓育を受ける。道林坊の弟・長九郎により剣を習うや、その力量著しく伸長する。

 武蔵13才の時、運命的な初決闘が、ここ平福の町外れ金倉橋の袂で行なわれる。新当流の達人・有馬喜兵衛なる兵法者の、決闘を誘う挑発的な高札に応じ、木刀で対峙するや、一刀のもとに喜兵衛を打ち倒し、出奔しいずこともなく旅立っていったという。
 以来、生涯60数回に及ぶ決闘に、不敗の剣豪として名を成していくことになる。

鳥取池田藩の平福本陣跡
現在は素盞嗚神社のお旅所となっている
佐用川沿いの石垣上の川座敷と土蔵群の「川端風景」
映画「鑓の権三」(篠田正浩監督、岩下志麻・郷ひろみ
主演)の 撮影地となった

登城アクセス
 車  : 中国道作用IC〜左折/作用IC出入口〜国道373号線〜右折/利神小
  学校手前〜作用川・天神橋〜左折/林道〜徒歩〜

駐車場 : 道の駅「宿場町ひらふく」の駐車場を拝借


「作用町」 公式HPへ

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