| 近畿地方 |
| 播磨(兵庫県西部) |
険しい山の上に築かれた近世城郭の連郭式山城
播磨
| 築城時期: 1349(貞和5・正平4)年 | 築城者: 別所敦範 |
道の駅「ひらふく」より見上げた 利神城址 遠望
|
| 遺 構 《 遺構/曲輪・石垣・空堀 》 | |
|
利神城は、江戸時代初期以降、因幡街道の宿場町として栄えた平福宿の北東に位置する利神山(標高373.3m)山上にある連郭式の山城である。
播磨国作用郡平福の地は、秋から冬の朝霧の名所として知られ、江戸時代初期、利神山上には三層の天守が聳えたち、その姿が霧の上に浮かんだ偉容から雲突城とも呼ばれた。
最高所に天守台ともいうべき狭い本丸があり、本丸を中心に南側に二の丸、更に南の下った場所に馬場、北東に鴉(からす)丸(実質的にはこちらが本丸)、西に大坂丸、西側のずっと下ったところに三の丸が配されていた。
西側山麓には居館部の石垣が残る。一部、智頭鉄道軌道によって分断されているが、おおむね良好に残されている。そのほぼ中央部分には「うわがみ門」と呼ばれる大きな枡形虎口があり、ここから山上の城郭に至る大手道と思われる道が延びている。
利神城のことは、資料も少なく、実際に訪れてみるまでほとんど知らなかったのであるが、来てみて驚いた。随所に崩落が見られるが、立派な石垣の残る近世山城である。たとえて言うならば「ミニ竹田城」といった趣で、こんな急峻な山上に、よくもまあ総石垣造りの城を築いたものだと感心させられる。
今回は時間がなかったこともあり、背後の搦手道と思われる北口からの林道を経由しましたが、落石と崩落の危険から登山を中止してほしい旨の警告が何箇所かに書かれていました。
しかし、現在見られる縄張が完成するのは1600(慶長5)年、池田輝政の甥・池田由之が入封してからである。由之による築城は、播磨姫路城を居城とする輝政領の西端、美作国境の防衛を目的にしていたと考えられる。
作用平福藩2万3千石となるのは、1615(元和元)年、池田輝政の六男・輝興の代だ。
1640(寛永17)年、平福の地は旗本・松平康朗5,000石の所領となり、代官支配としての平福陣屋が構えられた。
|
|
林道の終点
山頂の城址へは南口と北口の二ヶ所あり、北側の林道 経由としましたが、この手前で一頭の鹿と遭遇しました |
登城通路 1
下の林道入口および林道終点などに、崩落の危険から こちらからの登城を中止する警告が書かれています |
登城通路 2
鹿の害を防ぐため、あちらこちらに ネットフェンスが張られています |
登城通路 3
|
登城通路 4
ここは、鴉丸東側の塁壁にあたる場所です |
二の丸入口の枡形虎口
右側の石垣がせり出してきていて いまにも崩れそうで危険な状態です |
右斜め上画像の枡形虎口部を上から見る
|
二の丸から見た本丸南面の石垣
|
本丸より西下の三の丸を見下ろす
大手道登り口となる南口からの 作用川にかかる天神橋も見えます |
鴉丸北東面の虎口 |
本丸から北方下の大坂丸を見下ろす
|
山頂(本丸跡)より西北麓の道の駅「ひらふく」方向を俯瞰する |
本丸より北方向を望見する
|
本丸より北西方向を俯瞰する
国道373号、智頭急行電鉄、作用川が並行して走っている |
道の駅「ひらふく」から山頂の利神城址を見上げる
標高373.3m、比高約250mの山上ですが、肉眼でも総石垣造りの曲輪が判かります |
|
出典元
余湖図コレクション 「余湖くんのお城のページ」−「利神城」のページに 掲載されているものを借用させていただきました
|
縄張図
|
| 参考サイト |
「余湖くんのお城のページ」 余湖 殿 独特のタッチで描かれた2,000城以上掲載の 「余湖図コレクション」は圧巻です |
| 登城アクセス | |
|
車 : 中国道作用IC〜左折/作用IC出入口〜国道373号線〜右折/利神小 学校手前〜作用川・天神橋〜左折/林道〜徒歩〜 駐車場 : なし(少し離れているが、道の駅「宿場地ひらふく」の駐車場を拝借する 手もあり) |
|