| 近畿地方 |
| 播磨(兵庫県西部) |
稀代の軍師・黒田官兵衛、雄飛となった城
播磨
| 築城時期: 1519(永正16)年 | 築城者: 小寺政隆 |
御着城址公園に建つ 城址石碑
|
| 遺 構 《 遺構/土塁・堀・井戸 》 | |
|
御着城は、竹中半兵衛とともに豊臣秀吉の天下統一を助けた稀代の軍師・黒田官兵衛(孝高、如水)が、織田信長の命による中国地方攻略の一環で羽柴(豊臣)秀吉が播磨へ侵攻した際、居城姫路城を秀吉に献上する以前、家老として仕えていた小寺政職・則職父子の居城であった。
当時の播磨では比較的大規模な城であったらしく、別所氏の治める三木城、三木氏の治める英賀城と並んで播磨3大城郭の一つに挙げられていた。
1755(宝暦5)年に描かれた絵図「播州飾東郡府東御野庄御着茶臼山城地絵図」によると、本丸を囲む内堀があり、北東に隣接する二の丸の外側には三重の堀が巡らされ、南西側は天川を外堀として利用、山陽道や町屋を取り込んだ惣構えの平城だったようである。
現在、国道2号北側の二の丸跡付近は姫路市役所東出張所や御着城址公園、国道2号南側の本丸跡付近は民家や小公園などになっている。小公園には小寺氏を祀った祠、小寺明神があり、御着城址公園西側には黒田孝高の祖父黒田重隆らの廟所がある。
1575(天正5)年、織田信長の中国地方攻略の一環で羽柴(豊臣)秀吉が播磨へ侵攻する。
1579(天正7)年、秀吉は別所氏の三木城を支援していた播磨の諸城を攻撃、御着城も落城して廃城となった。
|
|
御着城址公園および、姫路市東出張所となっている二の丸跡 |
城址公園東側のグランド北側に見られる堀および、土塁の名残り |
城址公園西側に祀られている黒田孝高の祖父・黒田重隆らの廟所 官兵衛の祖父と母(明石氏)の二人が祀られ 1802(享和2)に、資材を九州から運んで造られた |
御着城堀跡に架かる天川橋(昭和52/1977年に現在地に移設保存) 姫路藩が1828(文政11)年に、この地より南西約200mの 旧西国街道の天川に架橋した総竜山石製の太鼓橋 |
| 登城アクセス | |
|
車 : 山陽道姫路東IC〜播但連絡道花田IC〜左折?花田IC出入り口〜左折/ 国道2号線〜天川・御着橋〜左折/姫路市役所東出張所入口〜 駐車場 : 姫路市役所東出張所の無料駐車場を利用 |
|