| 近畿地方 |
| 摂津(兵庫県東部) |
海賊久鬼氏が山間の盆地に移封され、池で水軍の訓練を…
摂津
| 築城時期: 1633(寛永10)年 | 築城者: 久鬼久隆 |
近くの金心寺山門として移築利用されている 陣屋大手黒門
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| 遺 構 《 遺構/堀 移築/陣屋門 》 | |
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熊野の九鬼水軍の棟領だった九鬼氏が、家督相続をめぐってのお家騒動から転封され、海の伊勢鳥羽から陸に上がって山間の地に築いた水軍の城、これが三田陣屋である。
東側の足元を武庫川が洗う陣屋は、かつて車瀬城という丘城があった場所で、小高い丘の上に築かれている。本丸は内堀をめぐらせ、二の丸は自然の池を南堀として利用し、ここで水軍の訓練も行なったという。あわせて、空堀も掘削していた。
現在、本丸跡が三田城址の石碑と古図および、説明板がある三田小学校。二の丸が県立有馬高校の敷地となっている。
さらに、三田小学校から西に徒歩約10分の金心寺には、下屋敷表黒門が移築され、山門として利用されている。
則頼の没後 三田領は、則頼の子の有馬豊氏が領していた丹波福知山藩領となる。
鳥羽にあった織田水軍大名の九鬼家は九鬼守隆の継嗣を巡って、三男の九鬼隆季と五男の九鬼久隆が、家中を二分して争い、結果、幕府は伊勢湾の制海権を九鬼水軍から取り上げ、海に接した鳥羽から、久隆は3万6千石で摂津三田へ、隆季は丹波綾部の山間部へ移された。
三田に入封した久隆は、有馬則頼の築いた車瀬城の跡地に陣屋を築き、10代隆国のとき、城主格への昇格が認められた。
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三田小学校前の城址碑と古図および、説明板
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三田小学校南側にある、天然の堀となっていた三田御池
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本丸(三田小学校)と二の丸(有馬高校)との間の水堀
干上がってしまったのか、水はありませんでした |
内堀の一部
奥に見えるのは、有馬高校の校舎です |
三田古地図
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| 登城アクセス | |
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車 : 中国道神戸三田IC〜右折/神戸三田ICIC出入口〜右折/弥生が丘6丁 目〜左折/西対中〜左折/京口〜左折/神戸地方法務局三田出張所〜 三田小学校〜 駐車場 : なし |
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