| 近畿地方 |
| 丹波(京都府中部) |
“本能寺の変”の際の、明智光秀出陣の城
丹波
| 築城時期: 1578(天正6)年 | 築城者: 明智光秀 |
大本教敷地内に残る 本丸の高石垣
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| 遺 構 《 遺構/天守台・石垣・曲輪・堀 移築/城門 》 | |
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亀山城跡は、現在、宗教法人「大本」の本部が置かれていますが、本部受付にて見学希望の申し込みをすれば、すんなりOKです。
次に、受付の指示に従って、三の丸跡にある万祥殿の拝殿前にて、簡単な「清めのお祓い」を受けて、二の丸・本丸へ入ることができます(勿論、無料です)。
本丸天守台の上が大本教の聖地となっていて、石段の途中から先は禁足地であり、天守台上に登ることは出来ない。本丸・二の丸は教団の保護・管理が行き届いているため、旧状をよく残している。
亀山城には明治10(1878)年まで、徳川幕府による天下普請の際、東堂高虎が伊予今治城から献上・移築した層等型五層の天守閣が存在していた。
ときは今 天が下知る 五月哉
亀山城は1578(天正6)年、明智光秀が丹波攻略の拠点として築城した。
羽柴秀吉との“山崎の合戦”において光秀が敗死した後、秀吉の拠点として亀山城には、羽柴秀勝(信長の子)・豊臣秀勝(秀吉の甥)・小早川秀秋などが入った。 1609(慶長14)年、天下を手中にした徳川家康は譜代の岡部長盛を入封させ、京の背後の要地ということもあり、天下普請として藤堂高虎に縄張りを命じ、西国大名を動員し、近世城郭として亀山城を大修築した。 要衝の地の亀山城主は、三河西尾より松平(大給)家、近江膳所より菅沼家、遠江掛川より松平(藤井)家、備中庭瀬(岡山市庭瀬)より久世家、美濃郡上八幡より井上家、遠江浜松より青山家と頻繁に譜代大名の交替が行われる。
1748(寛延元)年、丹波篠山より松平(形原)信岑が5万石で入り、以降は形原松平家の支配で8代にわたって明治に至る。
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城址北側の南郷池を東から見る
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南郷池北東角の保津門跡
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南郷池北東側の桜並木
ちょうど見頃の満開でした |
天守閣鯱瓦のレプリカブロンズ像
片方だけ残り、京都府立医科大学に収蔵 されているものを復元 |
城址北側部分(大本敷地)と南郷池
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南郷池の辺に建つ「明智光秀築城亀山城跡」の石碑
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城址東側の「おおもと通用門」
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三の丸の内堀
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二の丸(左)と三の丸(右)との間の空堀は現在、通路となっている |
天守台方向へ至る石段
ここから先は、大本の禁足地のため立入禁止です |
移築 新御殿門
所在地 : 亀岡市千代川町小川一丁目1番地近く 千代川小学校
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他に、亀岡市内の桂林寺表門として 移築保存されている城門もあります |
丹波亀山城 絵図
(現地案内図より)
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| 登城アクセス | |
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車 : 京都丹波道路亀岡IC〜左折/亀岡IC出入口〜国道372号線〜左折/ 風ノ口〜右折/亀岡市役所前Y字路〜右折/南郷公園角〜大本教 駐車場 : 大本教の参拝者用駐車場を利用 |
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