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近畿地方

山城(京都府南部)

本願寺蓮如が造営し、大坂石山御坊に移る前の本拠とした城郭寺院

山科本願寺[やましなほんがんじ] 別称=本願寺ノ城 (城郭寺院) 【所在地】 京都市山科区西野山階町

築城時期:  1483(文明15)年 築城者:  本願寺蓮如

やましな ほんがんじ 山科中央公園に残る 大土塁

 遺 構  《 遺構/土塁・水堀跡 》
 山科本願寺の遺跡は、室町時代に民衆信仰の頂点をきわめた本願寺蓮如が建てた、念仏信仰(一向宗・浄土真宗)の坊舎跡です。

 山科盆地の中心部西野一帯に築かれた城郭寺院の坊舎跡は、併走する国道1号線、東海道新幹線を挟むようにその南北に存在する。周囲を幾重にも土塁と堀で囲んだもので、東西800メートル、南北1キロメートルに及んでいた。
 「回字式」と言われる山科本願寺の縄張りは、御本字(本丸に相当)、内寺内(二の丸に相当)、外寺内(三の丸に相当)、南殿(蓮如の隠居施設と推定)の四つのゾーンから成り立っていた。

 現在、土塁が山科の町の随所に残り、山科中央公園に残る大土塁は、東西75m、南北60m、高さ7mの巨大な土塁であり。これは内寺内の東北部に位置していた。
 跡地には本願寺派と真宗大谷派の山科別院が建っており、南殿跡が大谷派の光照寺となっている。

 山階小学校から北へ歩くと、蓮如上人の御廟所が、門と築地に囲まれた木立の中にひっそりと佇んでいる。また、外環状線と国道1号線の交差点から東南へ300メートル程歩くと、九代実如・十代証如の墓もある。


 本願寺は初め洛中大谷にあり、1465(寛正6)年、比叡山宗徒に破壊されると越前吉崎に本拠を移していたが、浄土真宗中興の祖である本願寺八世・蓮如は、1478(文明10)年に山科・西野の土地を寄進され、坊舎を建立して本願寺の再興を図った。

 以後総本山として寺内町は発展し、蓮如の子の九世・実如、孫の十世・証如の頃に寺内町を守る為、町全体を土居で囲み、城郭化されたと考えられる。

 1532(天文元)年、山科本願寺は細川晴元との対立が次第に深まり、延暦寺門徒、近江守護・六角定頼、法華一揆宗徒らの連合軍により攻められ焼き払われたため、本願寺は山科から摂津石山(摂津大坂城)に移された。

山科本願寺 土塁跡の標柱 土塁 北面

遺構 案内図
(現地案内板より)

参考サイト 落穂ひろい ふーむ さま 岡山・兵庫・京都などの戦国史とお城、そして和歌に彩られた味わい深いサイトです。

登城アクセス
 車  : 名神道京都東IC〜左折/京都東IC出入口〜国道1号線〜右折/ロイヤ
  ルホスト角〜山科中央公園

駐車場 : なし


「京都市山科区役所」 公式HPへ

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