ザ・登城TOPへ

ザ・登城

近畿地方

山城(京都府南部)

足利将軍家断末魔の叫び、自ら城に火をかけて落ち延び

勝軍山城[しょうぐんやまじょう] 別称=東山御城、北白川城、瓜生城 (山 城) 【所在地】 京都市左京区一乗寺松原町

築城時期:  1520(永正17)年 築城者:  細川高国

しょうぐんやま じょう 瓜生山から 京の街 を眺める

 遺 構  《 遺構/曲輪・土塁・空堀 》
 雅の都・洛北の北白川、一乗寺あたりまで来ると、閑静なたたずまいが残っている。交通安全のお守りで知られる狸谷山不動院の背後の山中一帯に、落日の足利将軍が断末魔の抵抗がごとく 、築城を繰り返した城郭があったことはあまり知られていない。

 その勝軍山城は、洛北の瓜生山(うりゅうざん)山頂から南に延びる2本の支尾根と、東に延びる尾根上、および瓜生山と谷を挟んで東に位置する山の山頂付近に築かれている城砦群の総称をいう。
 瓜生山は京と近江国を結ぶ白川越えを眼下に押さえ、比叡山・坂本を経て琵琶湖まで直線にして約8キロメートルの位置にあります。

 近くには、詩仙堂や曼殊院、狸谷山不動院などの有名な観光スポットがあり、瓜生山中腹の狸谷山不動院には剣豪・宮本武蔵が修業を積んだとされる滝や、宮本武蔵と吉岡一門が戦った一乗寺下り松の古木が展示されている八大神社などもあります。

 狸谷山不動院の駐車場から長く険しい石段を登り詰めると、清水の舞台を彷彿とさせる狸谷山不動院の本堂にでる。ここからは奥の院へのハイキングコースに入り、山道を15分ほども登ると瓜生山(標高約301m)の山頂に到着する。


 勝軍山城のあった瓜生山は、早くから陣地として利用されていた。1520(永正17)年、近江に逃れていた管領・細川高国が近江守護・六角定頼らの後ろ盾のもと都に攻め上ったとき、その陣地として築かれたという。
 瓜生山の別名「勝軍地蔵山」は、このとき定頼が軍勢の守護として勝軍地蔵を陣中に祀ったことに由来するという。

 以後、勝軍山城は畿内の戦乱のたびに破壊と再築を繰り返していくこととなる。それを簡略に列挙してみる。

第1期=1527(大永 7)年  細川高国の築城(高国戦死後焼失)
第2期=1546(天文15)年  足利義晴の築城(自焼して落城)
第3期=1550(天文19)年  足利義晴による再整備(自焼して落城)
第4期=1559(永禄元)年  三好長慶・足利義輝の争奪戦(義輝帰京)
第5期=1561(永禄 4)年  六角義賢の布陣(三好攻めに使用)
第6期=1570(元亀元)年  信長が比叡山包囲に利用(明智光秀在陣)

 その後、勝軍山城は文献にも見えず、室町幕府の滅亡と時を同じくして、廃城になったものと思われる。

狸谷山不動院の本殿脇の徒歩での登り口 登城路の途中
一定間隔に地蔵様が置かれています
瓜生山頂の本丸跡に建つ勝軍地蔵社 標高約301mの山頂には
本丸跡などの説明板があります
六角定頼が地蔵を安置した旧・石室
(本丸跡東端にあり)
山道が険しいため、江戸時代に現在地
(バプテスト病院西の山上)に勝軍地蔵は移された

西曲輪跡
西曲輪下の下山道 足利義晴・義輝父子が落ち延びた尾根道
奥の北東方向は比叡山、坂本に繋がっている

参考サイト 落穂ひろい ふーむ さま 岡山・兵庫・京都などの戦国史とお城、そして和歌に彩られた味わい深いサイトです。

登城アクセス
 車  : 名神道京都東IC〜直進/京都東IC出入口〜右折/蹴上〜右折/南禅寺
  前〜白川通り〜右折/一乗寺JPポストの少し先〜詩仙堂前〜狸谷山不動院
  〜徒歩〜瓜生山頂

駐車場 : 狸谷山不動院の(最奥の)参拝者用駐車場を利用


「京都市左京区役所」 公式HPへ

ザ・登城TOPへ 近畿地方の城郭へ
ザ・登城TOPに戻る  近畿地方の城郭へ

滋賀県京都府大阪府兵庫県奈良県和歌山県