| 近畿地方 |
| 山城(京都府南部) |
秀吉と家康の天下取りはこの城にこだわり続けた
山城
| 築城時期: 1592(文禄元)年 | 築城者: 豊臣秀吉 |
模擬 天守閣
|
| 遺 構 《 遺構/曲輪・堀 模擬/天守閣・城門 移築/城門・復元石垣 》 | |
|
伏見城は豊臣秀吉によって、自身の隠居後の居所として造られたものが初めである。
伏見城は歴代三度にわたって築城され、初めに指月山に造られたものを指月山伏見城、震災後に木幡山に移されたものを木幡山伏見城などと区別される。さらに、木幡山伏見城は創建時である豊臣期と、関ヶ原の戦災後に再建された徳川期のものに分けられる。
“関ヶ原の戦い”の際、家康の家臣・鳥居元忠らが守っていた豊臣期木幡山伏見城は炎上して焼失、篭城していた徳川家家臣達の自刀した血痕の残る床板は、京都市の養源院など複数の寺に供養も兼ね、天井板に再利用されており、血天井として現在でも生々しい血痕を見る事が出来る。
伏見城本丸跡などの主郭部分は、のちに明治天皇の陵墓(伏見桃山陵)とされたため、現在は無許可での立入を禁じられている。
伏見桃山城キャッスルランドの廃園後は、京都市が譲り受けて伏見桃山運動公園として整備し、天守など伏見のシンボルとして保存され無料開放しているが、老朽化や耐震構造の問題から現在は内部非公開となっている。
この指月山伏見城は、1695(文禄4)年に地震で倒壊してしまったため、すぐさま、約500m離れた木幡山に築城し直され、1597(慶長2)年に完成された(木幡山伏見城)。
その後、秀吉の遺言により豊臣秀頼は大坂城に入り、徳川家康が入城して政務を代行したが、1600(慶長5)の“関ヶ原の役”の前哨戦として西軍方の攻撃を受けて炎上し落城した。
家康により、慶長7年から復旧工事が開始され、1605(慶長10)年、三代目となる徳川期小旗山伏見城は完成した。
|
|
模擬 城門
|
伏見桃山城の石碑
|
模擬 天守閣
|
堀跡の治部池
|
移築 城門
所在地 : 御香宮神社 |
移築 復元石垣
所在地 : 桃山東小学校内 |
|
伏見城は廃城に際して、天守を始め多くの建建造が他の場所に移築されている。
伝承と考えられている移築が多いが、以下に移築現存する主な施設などを列挙してみる。
|
|
| 登城アクセス | |
|
車 : 名神道京都南IC〜左折/京都南IC出入口〜国道1号線〜左折/大手筋 〜府道・御香宮前・区道〜左折〜治部池入口〜右折〜伏見桃山運動公園 駐車場 : 伏見桃山運動公園の有料駐車場を利用 |
|