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近畿地方

但馬(兵庫県北部)

北政所ねねの母の実家・杉原家の長房が築城

但馬 豊岡城[とよおかじょう] 別称=亀城 (平山城) 【所在地】 兵庫県豊岡市京町

築城時期:  1600(慶長5)年前後 築城者:  杉原長房

とよおか じょう 天守台跡地 に設置された城下絵図と城址解説板

 遺 構  《 遺構/曲輪・竪堀 》
 豊岡城址は、神武山公園として綺麗に整備されている。神武山(標高49m)の名は、明治5(1873)年の神武天皇遥拝所設置によるが、その山容から亀城・亀山、城の所在から城山とも呼ばれている。

 城址には、本丸の北東部と西部に豊岡市の水道タンクが建設され、その工事と公園整備のため、地形が改変されています。
現在、本丸跡に石碑が立つが、ほとんど遺構は残されていません。

 豊岡は1701(元禄14)年、赤穂浪士の討ち入り事件で有名な大石内蔵助の妻・りくの実家の地として名高い。「りく」は討入り前、離縁されて豊岡の父のもとに子供を連れて身を寄せていました。
 父の屋敷跡の一角となる豊岡市立図書館近くには、大石りく生誕の地の碑が建てられ、また、市内の正福寺には、りくの遺髪塚があります。


 伝承によると、15世紀中頃、九日市に守護所を置く但馬守護・山名宗全がこの丘陵に築城、被官垣屋氏に守らせたという。
戦国末期、被官垣屋氏が事実上の但馬実力者となるに及び、当時は城崎城と呼ばれていたこの城は但馬支配の中心的拠点となった。

 1580(天正8)年、但馬に侵攻した羽柴秀吉は、豊岡地方に宮部継潤を配置する。その継潤が豊岡城を築きはじめ、木下助兵衛尉・明石与四郎・福原右馬之助と入城し、1597(慶長2)年、北政所ねねの母の実家である杉原家の長房が入封する。
 長房は関ヶ原で西軍として行動するが、徳川方に妻の父・浅野長政を通じて内通していて、旧禄を安堵される。
 城は、1600(慶長5)年前後、杉原長房により完成する。杉原氏2万石は三代続くが、1653(承応2)年、当主・長玄(ながはる)が早死にして無嗣断絶。豊岡城も廃城となった。

 その後しばらく天領となるが、1668(寛文8)年、丹後田辺から京極高盛が入封。丘陵部の杉原氏の城跡を利用せず、山麓に豊岡陣屋を構え整備した。

豊岡陣屋跡地に建つ豊岡市立図書館と旧豊岡県庁正門
豊岡城の廃城後、山麓に陣屋が構えられた
城址への登り口
豊岡市立図書館南側からの神武山公園への登り口
綺麗に整備された途中の木段
城址のある神武山は、標高49mの丘陵です
本丸跡から南方の豊岡市街地を望見する
荻の丸跡 大石内蔵助の妻・りくの遺髪塚
正福寺(豊岡市日撫17)境内にあり

神武山公園案内図 神武山公園案内図
(現地案内板のものに加筆)

1702(元禄15)年頃の城下絵図
(現地案内板による)

登城アクセス
 車  : 播但連絡道路和田山IC〜左折/和田山IC入口〜国道312号線〜左折/
  一本柳〜国道9号線〜右折/上野〜右折/宮越〜国道312号線〜左折/豊岡
  市民会館前〜右折/最初の十字路〜左折/スーパー角〜豊岡市立図書館

駐車場 : 市立図書館の開館時間内なら専用駐車場の利用が可能


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