| 近畿地方 |
| 近江(滋賀県) |
「治部少に過ぎたるものが二つあり、嶋の左近と佐和山の城」
近江
| 築城時期: 建久年間(1190〜1199) | 築城者: 佐保時綱 |
大手道跡と佐和山遠望
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| 遺 構 《 遺構/曲輪・土塁・堀切・竪堀・井戸・石垣の一部 》 | |
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石田三成の居城として有名な佐和山城は、鈴鹿山系が琵琶湖に向かって大きく張り出した先端部近く、松原内湖に面した独立丘の佐和山山上に築城されている。この山からは湖東平野が一望でき、同時に関ヶ原から来ている中山道と北国街道との分岐が望まれる要衝でもある。
現在の佐和山城は、全山木立に覆われて、山頂部に残る本丸跡だけが整備されているにすぎないが、往時の佐和山城は壮大な規模を誇った城であった。
佐和山城は石田色を一掃しようとして、彦根城築城の折に徹底的に破却されたため、今では往時の姿を偲ぶことすら出来ないが、かつては、城の最高所に東西97m、南北20mの本丸を配し、その北側に二の丸・三の丸を置き、特に三の丸は東西38m、南北35mの面をもち大手に面している。
佐和山山頂への登山道は三ヶ所あります。本来の鳥居本方面の大手口からと、国道8号線佐和山トンネル西側口近くの「東山ハイキング Cコース」と書かれてある登山口の二ヶ所は、遺構の残り具合は多いのですが、未整備のため、それなりの装備・覚悟が必要です。
室町時代には、観音寺城主・佐々木(六角)定頼の持城となり、大永年間(1521〜1528)には重臣・小川左右大輔を城主にしている。
戦国時代になると、京極氏に替わって湖北の雄・浅井氏が台頭し、その将・磯野昌吉、その子員昌が城将となり、1571(元亀2)年から1582(天正10)年にかけて織田信長と戦い、そしてついに開城するにいたった。
“本能寺の変”後、豊臣秀吉はこの城の良好な立地条件から、配下の有力武将を城主に配置した。天正11年に堀秀政に5万石を与えて守らせ、天正13年には堀尾吉晴が城主となり近世城郭へと改修が始められた。
1590(天正18)年、豊臣政権五奉行の一人の石田三成が194,000石(後に21万石)を領して城主となった。三成は、改めて城を整備し、城下には善政を施し、威容を誇る恒久的な城へと変貌させたが、1600(慶長5)年の“関ヶ原の合戦”に敗れ、三成の父・正継の守る佐和山城も小早川秀秋を先鋒とする東軍に攻められ落城した。
その後、関ヶ原の戦功により、徳川四天王の一人である井伊直政が上野高崎より18万石を拝して入城するが、山城で不便なのと三成の威光を払拭するため新たに彦根城築城を構想するが、
直政が関が原の怪我がもとで、1602(慶長7)年に死没したため、嫡子・直勝がその計画を継ぎ、天下普請により1606(慶長11)年に完成すると彦根城に移り、佐和山城は廃城となった。
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琵琶湖線の踏切から見た佐和山遠望
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龍澤寺入り口にある石田三成坐像
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龍澤寺の山門
龍澤寺は遠江国(静岡県)井伊谷から移築された井伊氏 の菩提寺で、山門は佐和山城の城門を移築したものです |
登頂路の峰と峰の間の分岐点
左は弁財天に至り、右が本丸跡へ約600mです |
登頂路途中にある竪堀
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登頂路の様子
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塩硝櫓跡入り口
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登山道途中からみた彦根城
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本丸跡に建つ城址碑
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本丸跡
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本丸跡から見下ろした南方の彦根駅方面 |
一旦下山して、国道8号線の佐和山トンネル(西側)へ
左側はトンネルに並行して平成16年に建設された 佐和山自然遊歩道トンネルです |
遊歩道トンネルの西側出口には、佐吉少年(石田三成)が 豊臣秀吉に献茶する場面のレリーフが描かれています |
「東山ハイキング Cコース」と書かれてある佐和山トンネル近くの二ヶ所目の登山口 下部掲載の案内図の「現在地」の位置になります 藪が酷いとのことでこちらからは登城していません |
佐和山トンネル近くにある
佐和山三成会による佐和山歴史館 |
佐和山トンネル近くにある
開園されなかった城郭風建造物の「佐和山遊園」 |
鳥居元方面の大手口の大土居
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鳥居元方面の大手口からの佐和山遠望
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宋安寺の表門として移築利用されている
佐和山城大手門 宋安寺は徳川家の菩提を弔うために建立されたもので、 門の再利用が判らぬように、朱塗りにされ、 今も赤門の通称で市民に親しまれている |
保存されている宋安寺本堂の旧鬼瓦
長浜城御殿を拝領して、1702(元禄15)年に再建された 本堂の鬼瓦で、平成9(1997)年の大屋根改修工事で 大役を終えて降ろされたものを陳列保存している 高さ2.6m、横幅2.5m |
佐和山城址 案内図
(現地案内解説板より) |
木村重成の墓 所在地 : 宋安寺境内 滋賀県彦根市本町2丁目
重成の母・宮内卿局が豊臣秀頼の乳母であったため、
重成自身も幼少から秀頼の小姓として育つ。 “大坂冬の陣”では後藤又兵衛とともに今福砦攻防戦を 展開し、数に勝る徳川軍と対等に戦い全国に木村重成 の名を広めた。 “大坂夏の陣”が勃発すると豊臣軍の主力として長宗我 部盛親とともに八尾・若江の戦いを展開、井伊軍との激 戦の末、戦死する。享年23歳。
家康が彼の首実験をしたところ、髪に焚きこんだ香の薫
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| 登城アクセス | |
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車 : 名神高速彦根IC〜合流/国道306号線・原町〜〜右折/外町〜国道8 号線〜左折/古沢町〜県道〜右折/彦根警察署手前〜市道〜右折〜 琵琶湖線踏切横断〜すぐ左折〜 駐車場 : 龍澤寺西側の小公園の無料駐車場を利用 |
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