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近江(滋賀県)

「蛍大名」京極高次の関ヶ原前哨戦、関ヶ原本線の前日に開城

近江 大津城[おおつじょう]  (平城・水城) 【所在地】 滋賀県大津市浜大津

築城時期:  1586(天正14)年 築城者:  豊臣秀吉・浅野長政

おおつ じょう 大津城跡の石碑

 遺 構  《 遺構/なし 》
 見事なまでに何にもありません。京阪浜大津駅の真ん前、国道161号線沿いの歩道橋の袂に「大津城跡」の石碑があるだけです。
 信濃上田城などとともに、数少ない激しい城の攻防戦のあった近世城郭ではあります。

 1970年頃までは、国道161号線のすぐ側まで琵琶湖の湖水が来ていたそうですが、今は100m先までも埋立てられてしまっていて、遺構などは何一つ残っていません。
 この埋め立て工事の際には、波に洗われていた石垣があったそうですが、埋め戻されたのでしょうか? 


 1582(天正10)年の“本能寺の変”で落城した明智光秀の坂本城は修復されて、一旦、丹羽長秀に与えられたが、1586(天正14)年、豊臣秀吉は琵琶湖水運の要衝として坂本城4代目城主・浅野長政(長吉)に命じて大津城を築城して、坂本城を破却し、その用材は大津城築城に用いられた。

 その後、大津城主は浅野長政、増田長盛、新庄直頼と替わり、1595(文禄4)年、京極高次が近江八幡山城から6万石で城主に任じられた。
 1600(慶長5)年、“関ヶ原の戦い”の本戦前、東軍徳川方に与した京極高次は大津城に篭城、毛利元康(毛利輝元の叔父)を大将とする立花宗茂ら猛将の西軍1万5千の猛攻を凌ぎ、8日間の篭城の末、本戦前日の9月14日に降伏開城した。
しかし、大津城に西軍を釘付けにした高次の功績が認められて、戦後、家康より若狭小浜8万5千石に加増され、小浜城を築いて領した。

 替わって戸田一西が大津城に入城したが、西軍との篭城戦で大破し、近くの長等山から大砲を打ち込まれたため、その役割を担うため1601(慶長6)年に膳所城が築かれ、大津城は廃城となった。

 わずか十五年の短命に終わった大津城の湖水に浮かんだ五層四重の天守は彦根城に、城門等は膳所城に移築された。

浜大津駅に至る立体歩道橋上より
城址碑のあるところを見る
城址碑東方の大津港方向を見る

登城アクセス
 車  : 名神高速大津IC〜左折/大津IC入口〜左折/打出浜〜県道18号線〜
  浜大津駅前〜

駐車場 : 浜大津駅前周辺の有料駐車場を利用


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