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近畿地方

近江(滋賀県)

将軍家上洛時の御茶屋として近江国に設けられた四ヶ所のうちの一つ

近江 柏原御殿[かしわばらごてん]  (居館[御殿]) 【所在地】 滋賀県米原市柏原

築城時期:  1623(元和9)年頃 築城者:  徳川幕府

かしわばら ごてん 井戸

 遺 構  《 遺構/井戸 》
 柏原御殿は、旧中山道・柏原宿町並みの南外れに位置し、跡地はミニ公園として整備されている。道路脇には案内解説板と石碑があり、その背後に御殿の井戸だけが遺構として残されている。

 御殿跡は、これと云って見るべきものはないが、柏原宿は江戸時代に多くの店や宿がひしめく中山道のなかで、大規模な宿場町であった。柏原は中山道の宿場の中でも、特に旧観の保存に熱心な地域なので、古い町並みに当時の面影を偲ぶことはできます。

 近くには、近江守護・京極氏の菩提寺・清滝寺徳源院があり、また、後醍醐天皇の側近で、京極道誉の助命嘆願もかなわず処刑された鎌倉幕府討伐の中心人物であった北畠具行の墓が、最期の地に建てられています。


 徳川家康は、領国江戸と京・大坂をたびたび往復し、その都度柏原宿を通過している。1588(天正16)年の上洛の際、当地の土豪・西村勘助の屋敷を宿舎として利用し、以後中山道通過の際の恒例となっていた。

 江戸時代の初め、将軍上洛下向(京都・江戸間の通行)の際の宿泊・休憩の目的で、御茶屋(御殿)が街道の各所に設けられたが、近江国内には、柏原御殿と水口御殿=水口城、伊庭御殿(東近江市能登川町)、永原御殿(野洲市永原)の四ヶ所が設けられた。

 柏原御殿は、通過が頻繁になった1623(元和9)年頃に、2代将軍・秀忠の命により殿舎が新築され、1626(寛永3)年大改修して完成した。
 その後、徳川幕府の勢力増大につれて将軍上洛は減少、1689(元禄2)に柏原御殿は廃止された。

ミニ公園として整備されている御殿跡 ミニ公園として整備されている御殿跡

古絵図の略図
(現地案内解説板より)

登城アクセス
 車  : 名神高速米原IC〜右折/米原IC入口〜国道21号線〜左折/津島神社
  前〜最初の信号機付き十字路付近

駐車場 : なし(御殿跡のミニ公園前に路上駐車)


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