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ザ・登城

関東地方

下総(茨城県南部)

集落の中に、土塁・堀などが断片的に残る城館跡

下総 筒戸城[つつどじょう]  (平山城) 【所在地】 茨城県つくばみらい市筒戸

築城時期:  1559(永禄2)年 築城者:  筒戸氏

つつどじょう 本丸と二の丸との間の堀底道 (堀A)

 遺 構  《 遺構/曲輪・土塁・堀切 》
 筒戸(つつど)城跡は、つくばみらい市谷和原支所(旧谷和原村役場)から南西へ約3km、小貝川左岸側台地上に位置している。
 南に突出した舌状台地(標高約16m、低地との比高差2m前後を測る)は南が低地(水田)で、東と西は谷津(水田)が入り込んでいる三方要害になっている。

 遺構は、禅福寺の入口正面に、本丸と二の丸の間を遮断する堀Aと土塁aがよく残っている。また寺の南側にもこの土塁と堀の続きが断片的に残る。
なかでも台地南側(民家の敷地内)にある巨大な土塁cには目を見張るものがある。
 二の丸の北から東へかけては大規模な堀跡があったようだが、現在では北端の一部・堀Bが確認できる程度でほとんど壊滅している。

 現在も当時の地名や土塁、壕跡などが往時の面影をよく残しており、城跡の大部分が集落になっているが、遺構が断片的に残されています。


 筒戸城は1559(永禄2)年、相馬氏の庶流である筒戸氏によって築城されました。
筒戸氏はこの城に拠り、小勢力を保っていましたが、1589(天正17)年に下妻城(多賀谷城)の多賀谷家重の攻撃を受け落城し、筒戸城は多賀谷氏の領するところになりました。

 その後の筒戸城の歴史については未詳ですが、1590(天正18)年の豊臣秀吉の小田原攻め後に、廃城となったと考えられています。

二の丸跡の禅福寺境内への入口 禅福寺境内入口への真向かいにある土塁a
民家の敷地内に残る土塁b 同じ民家の敷地内に残る土塁c

筒戸城 縄張図
(現地案内解説板より)

登城アクセス
 車  : 常磐道谷和原IC〜右折合流/谷和原IC出入口〜国道294号線〜左折/
  新守谷駅南〜左折/突当たり〜市道〜右折/丸井加工工場〜禅福寺〜

駐車場 : なし


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