ザ・登城TOPへ

ザ・登城

関東地方

下総(茨城県南部)

小貝川に面した河岸段丘上にある相馬一族の城館

下総 下高井城[しもたかいじょう] 別称=高井城 (平山城) 【所在地】 茨城県取手市下高井(高井城址公園)

築城時期:  長治年間(1104〜1106) 築城者:  信太重国(後代に相馬氏を名乗る)

しもたかいじょう 主郭直下の枡形

 遺 構  《 遺構/曲輪・土塁・空堀 》
 高井城は、小貝川を北に臨む半島状台地に築かれた、取手市内でもっとも大きい戦国時代後期の城跡である。
城跡全体は約二百メートル四方の規模で、その内部は、主郭とそれに付属する二つの曲輪からなる中心部と、その外側に広がる外郭から成り立っている。標高は二十一メートル、小貝川に沿った低地からの比高は約十メートルである。
 現在、城跡一帯は大部分が宅地となり、外郭遺構は部分しか残っていないが、城の中心部である主郭とそれの伴う曲輪は良好な状態で保存されている。

   主郭は、南北六十五メートル東西四十五メートルの正方形に近い形で、四方に土塁がめぐらされている。主郭南辺と西辺の土塁壁上に虎口が、南東端には櫓台が残る。主郭南辺と東辺の土塁は、主郭内でもっとも高く築かれて、その外側に堀が設けられている。主郭西辺には、半円形の張り出し部分と虎口、それに虎口外側には枡形状遺構がある。主郭内は東側から西側に傾斜しており、土塁に沿って排水溝と思われる遺構が確認されている。

 主郭と第2郭、城外への連絡方法は、枡形になっている主郭西側虎口を出て、上段の通路状遺構を北に進むと下段の通路状遺構へ下る通路にあたる。この通路をさらに北に進むと枡形状遺構を経て第2郭にいたり、この通路を折り返す形で南に進むと、下段の通路状遺構から城の搦手である城跡西側の谷津にいたる構造になっている。

 第2郭は、土塁を挟んで主郭の北側に位置している。第2郭の西辺には、曲輪の下方に小規模な堀跡と思われる腰曲輪状の平坦面が築かれており、第2郭西側の守りを固めている。

 第3郭は、堀を隔てて主郭の南側に位置している。第3郭は、曲輪の東部分が消滅しているが、西辺と南辺には土塁の痕跡とその外側に堀の痕跡の東端には櫓台状の遺構がある。また第3郭北西斜面には平坦面が築かれ、井戸跡がある。


 高井城がいつ頃築かれたかはあきらかでないが、高井の地名は建武三年(1336)11月22日付相馬親胤宛「斯波家長奉書」に大鹿村(現在の白山地区)とともにみえ、この時点で相馬氏の知行地であった。

 天正十八年(1590)に豊臣秀吉の小田原攻めの際、後北条氏とともに下総相馬氏が滅亡したため、高井城は廃城となりその役割を終えた。

 『高井城跡案内板』より

小貝川の河岸段丘上の微高地に配された下高井城址 高井城址公園のあやめ園となっている
かつての低湿地の名残
主郭周囲の土塁 主郭の内部
主郭の虎口付近の一段と高くなっている土塁 左画像の虎口を反対(外)側から見る
主郭部分の復元想定図 主郭と第2郭の間の坂道は堀跡です

近くの下高井集落にある妙見八幡宮
相馬氏は千葉氏の一族であり、妙見信仰は
平将門から千葉氏と受け継いだものである

NEWアイコン
再 登 城
2009.10.18

茨城城郭会の「月例オフ会」で再訪してきました

主郭周囲の土塁 主郭南面の虎口を外側から見る

下高井城跡 中心部略測図
(現地案内解説板より)

下高井城跡 周辺図
(現地案内解説板より)

登城アクセス
 車  : 常磐道谷和原IC〜合流/国道294号号線〜左折/戸頭〜すぐに右折〜
  踏切/関東鉄道常総線〜県道〜左折/Y字路〜常総病院前〜左折/突き
  当たり〜右折/香取八坂神社・高源寺手前〜高井城址公園

駐車場 : 高井城址公園の専用駐車場を利用


「取手市」公式 HPへ

ザ・登城TOPへ 関東地方の城郭へ
ザ・登城TOPに戻る  関東地方の城郭へ

山梨県長野県新潟県 ・ 群馬県栃木県茨城県千葉県埼玉県神奈川県東京都