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ザ・登城

関東地方

下総(千葉県北部)

江戸川・中川の低湿地を遠望できる台地上に構えた中世城郭

下総 花輪城[はなわじょう]  (平山城) 【所在地】 千葉県流山市下花輪(花輪城址公園)

築城時期:  戦国時代 築城者:  平本定虎か?

はなわじょう 主郭に残る土橋と空堀

 遺 構  《 遺構/曲輪・土塁・空堀・土橋 》
 花輪城は、流山市内では深井城・前ヶ崎城・名都借城とともに存在した、中世城郭の一つです。
戦国期に松戸市大谷口の小金城を本拠地として、周辺一帯を支配していた高城氏に属する城でした。
 流山街道を南下し、下花輪地区に入るとすぐに左手に樹木の茂った丘が見える。ここが花輪城址公園として整備されている花輪城址だ。

 花輪城は、江戸川に沿って突出する標高16m〜20mの舌状台地の先端部に占地してあり、江戸川・中川の低湿地を遠望できる要衝である。
遺構は南側の台地先端部の一部を残すのみであり、二の郭と思われるところは、墓地や道路などとなり湮滅してしまっています。 

 発掘調査により、台地を東西に区切る深さ三メートルの空堀と土橋が発見され、二つ以上の郭が連続する城郭形態(直線連郭式)の一部が明らかになりましたが、現地平面図を見ると、空堀の二の郭側に土塁が盛られていたようであり、この構造からしてみると、北側の二の郭の方が上位の郭ということにもなり、主郭と二の郭が反対となる可能性もある。常に先端が主郭であるとは限らないのである。

 主郭と思われている場所には琵琶首観音堂が建っていた土壇と礎石が残っています。


 花輪城は、松戸市大谷口の小金城主高城氏の家臣であった平本定虎が築いた城というが、同じ高城氏の家臣で花輪淡路守が築いた城に平本氏が入城したともされ、確実なことはわかっていない。

 『東葛の中世城郭』によると、平本氏は、京都より小田原に下り後北条氏に属した小田原宇野氏に関連する一族であったとの考察もある。

 高城氏が属した後北条氏の滅亡(1590/天正18年)とともに、高城氏も滅亡し、花輪城もその役割を終えたと考えられている。

南側からの城址遠望
左側の道路は県道5号線、通称「流山街道」です
北側から見た城址
この二の郭跡は、墓地になったり
土取りがされていて湮滅しています
県道5号線・流山街道沿いにある「花輪城址公園」の石碑 主郭下東側の城址公園として整備されている部分
南側から主郭跡に上がる石段 主郭跡に残る琵琶首観音堂の土壇跡
模擬木橋の上から主郭跡を見る(北→南) 模擬木橋反対側の土橋と空堀を見る

花輪城跡 平面図
(現地案内解説板より)

登城アクセス
 車  : 常磐道流山IC〜合流/流山有料道路〜左折/突き当たり〜流山街道〜
  右折/谷〜県道・流山街道〜東葛病院前〜常総病院前・反対側が花輪城址
  公園

駐車場 : なし


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