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関東地方

常陸(茨城県)

肥後熊本藩祖・細川忠興の弟を藩祖とする陣屋跡

常陸 谷田部陣屋[やたべじんや] 別称=谷田部城 (陣 屋) 【所在地】 茨城県つくば市谷田部(谷田部小学校)

築城時期:  1616(元和2)年 築城者:  細川興元

やたべ  じんや 谷田部小学校の敷地内に建つ谷田部城址の碑

 遺 構  《 現存/玄関  移築/陣屋門 》
 谷田部陣屋跡は、現在、谷田部小学校の敷地となっているので、探すのは苦労しない。

 訪問した時は、ちょうど校舎の増築工事が行なわれていましたが、旧校舎の南側には表掲写真の石碑が建っている。
学校敷地周辺には、それ以外の遺構などは見当たらないが、小学校正門の向かい側には、陣屋玄関が現存しており、公民館として利用されています。

 また、市内の民家には陣屋門が移築されて現存しているそうです。

陣屋門の移築先

つくば市北中妻 成島氏所有


 元亀年間から天正年間(1570〜1592)には、はじめ、小田氏家臣の岡見頼忠が領主として居城していたという谷田部城があり、この地は、“関ヶ原の役”の後、徳川家康に所領没収されるまで、常陸下妻城主・多賀谷氏の支配下にあった。
 その頃の谷田部城は、東・西谷田川に挟まれた成井台地の、旧谷田部中学校敷地を中心として存在したといわれているが、現在は住宅地と化し、僅かに城跡に関係のある地名が残っているのみで、その他詳しいことは不明である。

 その後の徳川幕藩体制下においてこの地を治封した谷田部藩は、肥後熊本藩(54万石・細川氏)の分家であり、関東にあった珍しい外様の小藩である。
 初代藩主・細川興元は、細川藤孝(幽斎)の二男であり、肥後熊本藩祖・細川忠興の実弟である。
 関ヶ原の戦いで東軍に与した興元は、その後、徳川秀忠に召出され、1610(慶長15)年に下野国芳賀郡1万石を給せられ、茂木に居を定めた。
1615(元和元)年には“大阪夏の陣”に参陣、その功で常陸国筑波郡・河内郡に6,200石を加増されて総石高1万6200石の大名となった。

 元和4年、興元の子の興昌は藩庁を茂木から、参勤交代に便利な谷田部に移し、谷田部藩が成立した。
以後、細川氏は9代興貫まで、約250年間にわたって谷田部と茂木を領した。

 記録によると、陣屋は1844(天保15)年に火災によって焼失したが、その後再建された。
明治4(1871)年、9代興貫の時に再び茂木に移り、茂木藩と称した。

陣屋跡地の谷田部小学校前景 現存の陣屋玄関
谷田部小学校の南側正門の反対側にあり
現在は公民館として使用されている

登城アクセス
 車  : 常磐道谷田部IC〜左折/サイエンス大通り〜左折/上横場〜国道354
  号線〜左折/つくば市役所矢田部分庁舎角〜右折〜谷田部小学校

駐車場 : 谷田部公民館の駐車場を利用


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