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関東地方

常陸(茨城県)

周防の大内氏出自の山口氏が幕末まで治封

牛久陣屋[うしくじんや]  (陣 屋) 【所在地】 茨城県牛久市城中町字陣屋

築城時期:  1669(寛文9)年 築城者:  山口弘隆

うしく  じんや 陣屋跡地

 遺 構  《 遺構/土塁・堀  移築/陣屋門 》
 牛久陣屋は、牛久沼東岸台地に所在する中世牛久城跡の北西800mの地に築かれていた。
 かつての陣屋の規模は約70m四方の方形で、牛久沼に臨む西側は比高15〜20mほどのきわめて険しい削り落としの斜面となっている。
東側山林内には浅い堀および、土塁が南北に一条残存しています。また、南側の堀跡は道路になって残っています。さらに、陣屋門が牛久市内の民家に移築されている。

 現在、陣屋跡地は小公園となっていて、一角には、「河童の碑」が建てられ、すぐ近くには小川芋銭記念館もある。
牛久沼をこよなく愛した日本画家の小川芋銭(1868〜1038年)が晩年に建てたアトリエの「雲魚亭」を小川芋銭記念館として一般公開している。

 牛久陣屋跡を訪ねる場合、地元の人に「牛久陣屋跡」と尋ねても知っている人が少ないので、幻想的な河童の水墨画を多く残した芋銭を偲んで建てられた「河童の碑」は何処ですかと尋ねるのが手っ取り早いです。
 なお、この周辺は道路が狭いので、車で進入する場合は、気をつけてください。


 牛久陣屋は、1669(寛文9)年、牛久藩2代藩主の山口弘隆によって構築されたものである。

 山口氏は周防山口の守護大名大内家の流れをくみ、先祖累代の地、周防山口の名を家名とした。
広隆の父・山口重政は、始め織田家に仕え、のち徳川家に仕えた。1601(慶長6)年、関ヶ原の戦いの功で、重政は加封され1万石(上総5千に常陸5千)となって大名に列した。その後さらに、下野に5千石を加えられ、1万5千石となるが、嫡子重信と大久保忠隣の養女との私婚を理由に改易となった。いわゆる大久保長安事件の連座である。

 その後、“大坂夏の陣”に参戦、1629(寛永6)年に再び常陸・遠江国内で1万5千石をを賜る。
2代広隆の時に、領地が常陸・下総に集められ、牛久に陣屋を構えた。広隆は弟・重恒に5千石を分知したため石高は1万石となり、そのまま、山口氏は初代重政より12代続いて明治を迎えた。
 なお、陣屋は1863(文久3)年に、従来の1.5倍の規模に新増築されたという。


陣屋門の移築先

牛久市下根町 池田三郎氏所有

陣屋跡地の西端に建つ「河童の碑」近くの様子
日本画家であり、河童の絵を多く残した小川芋銭を
偲んで建てられた碑です
陣屋跡地に建つ小川芋銭記念館の小公園の庭園部
芋銭のアトリエ「雲魚亭」を記念館として
作品や遺品を一般公開しています

牛久陣屋・牛久城 周辺 観光案内図
(現地案内解説板より)

余湖図セレクション 牛久陣屋 出典元
余湖図コレクション
余湖くんのお城のページ」−「牛久陣屋」のページに掲載されているものを
借用させていただきました

参考サイト 余湖くんのお城のページ 余湖 殿 独特のタッチで描かれた2,000城以上掲載の
「余湖図コレクション」は圧巻です

登城アクセス
 車  : 圏央道つくば牛久IC〜合流/国道6号線〜左折/国道408号線〜右折/
  学園都市南入口〜国道6号線〜右折/栗原紙材前〜根古屋橋〜左折(現地
  案内標識に従う)〜小川芋銭記念館(雲魚亭)

駐車場 : 小川芋銭記念館の駐車場を利用


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