| 関東地方 |
| 常陸(茨城県) |
仙台藩伊達家の飛地領だった地に、米津氏が構えた陣屋は五ヶ月で廃藩置県
| 築城時期: 1871(明治4)年 | 築城者: 米津政敏 |
陣屋跡地とされる龍ヶ崎小学校前景
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| 遺 構 《 遺構/なし 》 |
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龍ヶ崎陣屋の置かれたこの地は、幕末まで、仙台藩伊達家の飛び地領1万石余りであった。
徳川家康が伊達政宗に龍ヶ崎の地を与えたのは、1606(慶長11)年のことで、何ゆえこの地が政宗に与えられたか明瞭でないが、家康の六男・忠輝と政宗の長女・五郎八姫の婚姻など、おそらく家康は、武力政治力に優れた政宗と友好関係を保つ目的からと思われる。 伊達藩は廃城となった龍ヶ崎城に変わり、現在の龍ヶ崎小学校付近に陣屋を構え、代官を置いて明治維新までこの地を支配した。 仙台藩が“戊辰戦争”において旧幕府軍側として朝敵となったため、常駐していた代官は国許に引き上げ、仙台藩の采地陣屋は打ち壊しとなった。
かつて米津氏の所領1万1千石は、出羽・常陸・上総・下総の四国内に分かれていた。それまで陣屋のあった出羽村山郡長瀞村(山形県東根市)から集約を願い出て、明治2(1969)年11月1日に、上総山辺郡大網村(千葉県山武郡大網白里町)に藩庁を移している。
しかし、この龍ヶ崎陣屋も五ヵ月後の7月15日、廃藩置県により廃止された。
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| 登城アクセス | |
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車 : 圏央道阿見東IC〜県道24号線〜右折/
蚕業技術研究所前〜右折/ ファミリーマート前〜県道68号線/県道24号線〜左折/根町〜市道・すぐに 左折〜龍ヶ崎小学校正門前 駐車場 : なし・正門近くの路肩に駐車 |
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