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ザ・登城

関東地方

常陸(茨城県)

水戸徳川家御連枝守山藩の飛地領支配のための代官所から陣屋へ

松川陣屋[まつかわじんや]  (陣 屋) 【所在地】 茨城県東茨城郡大洗町神山町4393他

築城時期:  1701(元禄14)年 築城者:  磐城守山藩松平氏

まつかわじんや 耕作地となっている 陣屋跡地

 遺 構  《 遺構/土塁・礎石の一部 》
 松川藩は、もと守山藩といった。水戸徳川家藩祖・頼房(徳川家康の十一男)の四男頼元(「黄門様」の愛称で親しまれている水戸藩2代藩主・徳川光圀の弟)は、寛文元年(一六六一)常陸額田の地を与えられ水戸新家を創立するがその子頼貞の時、元禄十三年(一七〇〇)改めて幕府より陸奥と常陸に領地を与えられ、守山藩(二万石)が成立する。

 守山藩は水戸藩の支藩として、御連枝と呼ばれ、参勤交代はなく、藩主以下江戸大塚吹上の藩邸に住む。陣屋は松川と守山(福島県郡山市)に置かれ、郡奉行以下数名の藩士がいた。
 守山藩は、水戸藩の影響を受け、特に幕末の内争や戊辰戦争時には、動乱の渦中に翻弄され、苦難の中を過ごした。
 慶応四年三月、六代藩主頼升は、一族郎党三百余名を引き連れて動乱の江戸をのがれ松川に移った。

 明治三年、七代頼之(15代将軍・徳川慶喜の弟)の時、藩庁を松川陣屋に移し松川藩と改称した。明治四年廃藩となり松川県となる。多くの藩士は東京や県外に移ったが、一部の藩士は松川に定住した。
 その松川陣屋跡は、遠くに日光連山、近くに筑波山の峰を望み、眼下に涸沼を見下ろす高台の景勝の地にあります。

 (現地案内解説板より)


 藩祖・徳川頼房の後、水戸徳川宗家は頼房三男の光圀が相続し、水戸連枝藩は頼房の長男・頼重が讃岐高松、四男・頼元が陸奥守山、五男・頼隆が常陸府中および、頼房の七男・頼雄の常陸宍戸の4家が水戸徳川家の四連枝藩である。

 松川陣屋跡地は版籍奉還後も一時松川県庁になっていましたが、明治4年失火全焼し現在はその跡には何もなく、耕作地になっています。

 陣屋跡地から東南の近くには松川陣屋墓地が綺麗に整備され、ここに説明板が設置されています。
 この陣屋墓地には、藩の墓地として藩主側室及び藩士とその子孫の霊が祀られています。


 松川陣屋跡地とされる耕作地は松川集落の一角に位置していますが、たいへん解かりづらい場所で、陣屋跡地東方の農家の方に訊ねたところ、納屋で作業中だったにも関わらず、案内説明して頂き、礎石の所在まで親切に教えて頂き助かりました。
 さらに、帰りには、持ちきれないほどの紅東(サツマイモ)まで頂いてしまい、たいへん恐縮してしまいました。ありがとうございました。

ここのカーブのところを右折します
なお、カーブの先の大きなT字路を右折した右側には
松川陣屋墓地があります
この豊姫稲荷神社の前を通ります
進入経路は矢印の方向になります
陣屋跡地(南側)
右側の農道を境にして神山町(右)と成田町(左)に
分かれます
陣屋跡地(北側)
奥の木々のすぐ西(向こう)側は涸沼の河岸段丘の
沢(比高10m位か)になっています

陣屋跡地のサツマイモ畑と林の際をアップ

サツマイモの葉の中に埋もれかかって残っていた
陣屋建物の礎石の一部
近くの農家の方に案内して頂いたので
なんとか判りました。ありがとうございました

集落の近くにある松川陣屋墓地
綺麗に整備され、看板には大きな
水戸徳川家の葵の御紋がありました

登城アクセス
 車  : 東水戸道路水戸大洗IC〜左折/水戸大洗インター〜国道51号線〜
  左折/真海IC入口〜県道5号線〜すぐに右折〜右折/高須酒店角〜右折〜
  豊姫稲荷神社前〜地元の方に訊ねる

駐車場 : 許可を得て空き地に駐車


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