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ザ・登城

関東地方

常陸(茨城県)

関ヶ原西軍の外様ながら、明治まで関東の地に存続したユニークな大名家

麻生陣屋[あそうじんや]  (陣 屋) 【所在地】 茨城県行方市麻生町麻生(麻生小学校)

築城時期:  1604(慶長9)年 築城者:  新庄直頼

あそう じんや 麻生藩畑家 家老屋敷 表門
主屋と同時期(1857?安政4年)頃の再建と思われています
陣屋跡地の麻生小学校南東角地に隣接しています

 遺 構  《 遺構/土塁・空堀・家老屋敷 》
 近世に麻生に置かれた常陸麻生藩の陣屋跡は、霞ヶ浦南部の東岸、湖水に大きく突き出した天王崎に占地し、中世に築かれた麻生城の東方300mのところに位置しています。

 麻生陣屋は、他の多くの陣屋同様、麻生小学校の敷地となっていますが、小学校周囲の道路は方形に囲まれていて、結構、周囲はそれとわかる雰囲気を残しています。

 図説 江戸三百藩 「城と陣屋」 東国編によると、「小学校敷地内に土塁と空堀がわずかに残されている」とあるが、早朝のため無断侵入となってしまうので、確認できなかった。 

 小学校に隣接して、家老屋敷の主屋と表門、庭園が現存しており、資料館が併設されています。


 新庄直頼は、1600(慶長5)年の“関ヶ原の戦い”のとき、西軍に属したため、戦後に摂津高槻の領地を没収されていたが、後に許されて徳川家康に召し出され、常陸国麻生に3万石の所領を賜わり、麻生藩を立藩した。

 第3代藩主・新庄直好は継嗣が無く、養子の直時を嗣子としていたが、62歳という高齢になってから実子の直矩が生まれた。
 しかし直好が死去したとき、3歳の直矩に後を継がせるわけにもいかず、直時がそのまま跡を嗣いだ。直矩が15歳に成長すると、直時から直矩に家督が譲られた。このとき、隠居した直時に藩領から7000石が分与され、麻生藩は2万3000石となる。

 ところが、2年後の1676(延宝4)年、直矩が17歳で急死してしまったうえ、直矩には継嗣が無く、江戸幕府より改易された。
 しかし、幕府は、7000石の旗本となっていた前藩主の直時に、その旗本領に3000石を加増して1万石の所領を与えて再勤を認め、麻生藩は再興することを許された。

 以後、麻生の地は15代・直敬までの267年間、新庄氏の支配で明治を迎えたわけであるが、関ヶ原では西軍に与した外様ながら、関東の地で明治まで一家支配を全うしたユニークな大名家である。

陣屋跡地の麻生小学校全景 小学校周囲の道路はきれいな方形に囲まれ、
陣屋の外郭が偲ばれます
家老屋敷 畑家の主屋外観
前年に火災焼失し、翌1857(安政4)に再建されたもの
畑家主屋の玄関式台

登城アクセス
 車  : 水郷有料道路潮来IC〜左折/有料道路入口〜国道51号線〜左側路〜
  右折/永山〜国道355号線〜右折/佐原信金前〜市道〜左折/麻生郵便
  局前〜麻生小学校

駐車場 : なし


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