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関東地方

常陸(茨城県)

多賀谷重政に落城させられた豊田氏家臣の城館

常陸 栗崎城[くりさきじょう] 別称=吉沼城 (丘 城) 【所在地】 茨城県つくば市吉沼(正福寺)

築城時期:  1504(永正元)年 築城者:  原外記

くりさき じょう 県道56号線を跨ぐ橋越しに見た 城址の正福寺

 遺 構  《 遺構/曲輪・土塁 》
 栗崎城は、小貝川左岸の坂本集落から北方に突き出した台地先端部にある。
現在、県道56号線バイパスが走る途中の正福寺のある高台に存在している。
城域南側を貫いている県道56号線バイパスにより、城址の一部がこれによって消滅してしまった可能性がある。

 城の遺構がよく残っているのは、正福寺北側の台地先端部分である。三方に掻き揚げ土塁が残り、5mほど下には腰曲輪もある。
 主郭部は40×30mほどの広さであり、主郭西側の土塁と堀はクランク状に横矢が掛かっている。
 下の余湖図の(う)の虎口と南側の正福寺との間には、埋められた堀の痕跡をかろうじて見ることができ、単郭でなく、二の郭が存在したとすると正福寺がニの郭ということになろうか。

 地元の方に伺ったところ、「この一帯はもともと台地続きであり、バイパスの通る前には堀切のような地形はなかった」という。
南側の台地基部とを隔てる堀切は、かなり早い時期に埋められてしまったか、あるえは、先端だけの単郭だけの城館であったのかもしれない。


 栗崎城は、1504(永正元)年に豊田氏の家臣・原外記により、小田城の支城として築かれたと伝えられる。

 1535(天文4)年、下妻城(多賀谷城)の多賀谷重政の攻略により栗崎城は落城し、原外記も討死した。

 1543(天文12)年、多賀谷重政の子の政経により、この地に正福寺が建立された。(「旧大穂町史」より)

城址である正福寺の奥(北)の内坂公民館跡
軽自動車の辺りにあった公民館建物は
解体撤去されていました

下の余湖図の(あ)のところの土塁
下の余湖図の(え)のところ
(主郭北側下段の腰曲輪から見た)の塁壁
下の余湖図の(お)のところの土塁
下の余湖図の(か)のところの横矢がかかった土塁と堀
左側は主郭の城壁です
下の余湖図の(き)のところの土塁先端部
主郭の土塁上に置かれている地蔵様
城内には各所に地蔵様が置かれている
昭和60年建立の新しい地蔵様
地蔵様はみな表情が違っていて、なんともほほいましい

余湖図セレクション 栗崎城 出典元
余湖図コレクション
余湖くんのお城のページ」−「栗崎城」のページに掲載
されているものを借用させていただきました

参考サイト 余湖くんのお城のページ 余湖 殿 独特のタッチで描かれた2,000城以上掲載の
「余湖図コレクション」は圧巻です

登城アクセス
 車  : 常磐道谷和原IC〜合流/国道294号線〜右折/大薗木〜愛国橋・小貝
  川〜県道58号線バイパス〜右折/正福寺入口〜右折/最初の辻〜右折〜
  県道56号線バイパス跨橋〜正福寺

駐車場 : 正福寺境内の参拝者用駐車スペースを利用


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