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関東地方

武蔵(埼玉県)

最幕末に構えた前橋藩の采地陣屋は僅か四年で廃藩置県

武蔵 松山陣屋[まつやまじんや]  (陣 屋) 【所在地】 埼玉県東松山市松葉町1-1(東松山市役所)

築城時期:  1867(慶応3)年 築城者:  松平(大和守)直克

まつやま じんや 市役所の片隅に建つ 陣屋跡の石碑と案内解説板

 遺 構  《 遺構/なし 》
 かつての松山陣屋は、周りを土塁と城塀、更にその外側を堀で固めた陣屋としてはかなり大規模なもので、陣屋というよりは前橋城の支城としての性格が強かったと推測される。
 しかし、幕末に設置された事もあり、わずか5年で廃藩置県を迎え、その役目を終えたとされる。

 敷地は、現在の松葉町1丁目全域に当たるほぼ正方形に広がっており、東松山市役所、松山第一小学校を中心に、その南側の旧小川街道がある材木町の武蔵野銀行の所から八幡神社の所までが該当する。この旧小川街道の北側に沿って馬水場があった。

 武蔵野銀行があるあたりに広小路と呼ばれる広場があり、お堀を渡った大手門の先には、現在の総合会館のあたりに御殿、市役所のあたりに奉行所があった。
その西側には町奉行、家老、遊隊、小遊隊、勘定奉行、目付、銃隊の屋敷が配置されていたほか、西端の八幡神社のあたりが出曲輪となっており、ここに鉄砲場が設けられていた。
また、旧小川街道の南側には武家屋敷の長屋が広がっていた。

 明治以降は御殿を中心に役所として使われたものの、現在ではほとんどその遺構は残されていないが、東松山市役所の一角に「前橋藩 松山陣屋跡」と書かれた石碑と復現図付きの案内板が設置されている。


 前橋城へは、「転封王」と言っても良い大和守系越前松平家が入封するが、既に歴代10回の転封を経てその転封費用の借財に苦しむ松平家は、度重なる利根川の浸食によって前橋城を放棄せざるを得ない状況になり、前橋藩領内であった武蔵川越に居所を移し、約100年の間、川越城を本拠としていた。
 幕末、前橋商人などの寄付によって前橋城は再築され、新装なった和洋折衷型の堅城に松平(越前)直克が川越藩時代の石高(17万石)をもって移封(帰城)となり、前橋藩を立藩した。

 そのため、比企郡・高麗郡・埼玉郡周辺の6万石余の領地が飛び地になることから、この地域の統治を行う目的として、1867(慶応3)年に松山陣屋は建設された。
 しかし、最幕末に築かれた松山陣屋は、幕末の動乱に備えて築造された新・前橋城とともにすぐに“大政奉還”が行われ、明治4(1871)年、僅か四年の短命で“廃藩置県”を迎えることとなった。

 ちなみに川越藩時代には前橋周辺を統治する川越藩の前橋陣屋が前橋城内に設けられていた。

 訪問が日没寸前でしたので、露光不足の画像ばかりで見づらくてすみません。

復現図付きの案内解説板などが置かれる
東松山市役所の一画
市役所東側の松山第一小学校
小学校敷地の東側3分の2ほどは陣屋跡地です
南西の八幡神社が建つ、かつての出丸のような曲輪跡
図中には「道元松」と書かれています
左の出丸のような曲輪跡に建つ「松山陣屋鉄砲場」の石碑

松山陣屋 復現図
(現地案内解説板より)

余湖図セレクション 松山陣屋 出典元
余湖図コレクション
余湖くんのお城のページ」−「松山陣屋」のページに掲載されているものを
借用させていただきました

参考サイト 余湖くんのお城のページ 余湖 殿 独特のタッチで描かれた2,000城以上掲載の
「余湖図コレクション」は圧巻です

登城アクセス
 車  : 関越道東松山IC〜右折/東松山IC出口〜国道254号線〜左折/上野本
  (西)〜県道〜東武東上線踏切〜左折/セブンイレブン前〜東松山市役所

電 車 ; 東武東上線東松山駅下車徒歩13分
駐車場 : 東松山市役所の無料専用駐車場を利用


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