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関東地方

武蔵(埼玉県)

徳川譜代の米津氏が百十五年間だけ構えた陣屋

武蔵 久喜陣屋[くきじんや]  (陣 屋) 【所在地】 埼玉県久喜市中央四丁目(久喜中央公民館隣)

築城時期:  1684(貞享元)年 築城者:  米津(伊勢守)政武

くき じんや 御陣山公園にある小高い塚の 首塚

 遺 構  《 遺構/なし 》
 久喜市中央公民館の北東隣に「御陣山公園」と呼ばれている小公園がある。公園内には小高い塚があり、南西側に得体の知れない首塚の石仏・石碑が置かれている。
 往時、この辺りで討死した武将の首塚である云々との由来が刻まれているが、それが誰なのかは残念ながらわからない。

 久喜陣屋は、徳川家譜代の家臣・米津(よねきづ)氏の陣屋跡であるが、遺構らしきものは残されていない。陣屋は、この御陣山公園から道路反対側の天王院あたりを中心に築かれていたと考えられている。

 首塚の石碑には下記のように記載されていました。ただし、建立期日・建立者名・供養法師名などは省略。

 此ノ周辺一帯ヲ御陣山ト称シ往時首塚ノ跡タリシ事ヲ霊覚者角沢栄一先生ノ法眼ニ依リ発見サレタルモノナリ
滋ニ供養塔ヲ建立シ武将士竝ニ萬霊ノ成仏供養ヲシ霊地ヲ保存シ之ヲ後世ニ伝へ以テ久喜町ノ繁栄ヲ希念ス 合掌


 久喜陣屋の米津氏は、徳川家に仕えた旗本で、三河西尾の出身であり、戦国期には米津信政、政信、田政(ただまさ)の親子三代が軍功を重ねた。1590(天正18)年、徳川氏の関東入部につき従って入封した。
 米津田政は、武蔵国都築、下総国印旛・相馬、上総国埴生・香取の5郡において計5000石を領した。

 旗本であった米津氏は、1629(寛永6)年、田政の子の米津田盛(ただもり)が大阪定番となって摂津・河内において1万石を加増され、合計石高1万5千石となって諸侯に列した。 
 その後、田盛の子の米津政武は弟・田賢(みちかた)に3千石を分知し、1万2千石となり、武蔵国、上総国、下総国、常陸国などの11郡に所領を移され、1684(貞享元)年、政武は居所を久喜に定めて陣屋を構え、久喜藩が立藩した。
 政武の子の政矩の時に、弟の政容(まさよし)に1千石を分与したので、その所領は1万1千石となる。

 1798(寛政10)年、米津通政に至って、武蔵国領であった6400石を出羽村山郡に移されたため、出羽長瀞に陣屋を移し、久喜藩は廃藩となった。
この久喜藩の米津氏の治世は、五代・115年間にわたるものであった。

 出羽長瀞(現在の山形県東根氏)に転封となった米津家は、五代続いて明治を迎えた。明治2(1869)年の版籍奉還の後、米津政敏は長瀞藩知事となった。続いて、上総大網(千葉県山武郡大網白里町)、常陸龍ヶ崎と移って、明治4(1871)年、龍ヶ崎で廃藩置県を迎えた。

首塚を北西から見たところ
右端が久喜中央公民館の駐車スペースです
首塚には小さな祠が祀られています
南西側にある謎の首塚の石碑 道路の反対(東)側にある
天王院(幼稚園も兼営)の山門

登城アクセス
 車  : 東北道久喜IC〜左折/久喜IC出口〜県道3号線・久喜駅入口(南)〜
  右折/久喜駅入口〜県道〜左折/久喜中央公民館の角〜すぐ道路右側

駐車場 : 久喜中央公民館の無料専用駐車場を借用


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