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ザ・登城

東海地方

美濃(岐阜県南部)

天然の大岩を巧みに取り入れた石垣遺構は一見の価値有り

苗木城 別称=赤壁城 (山 城) 【所在地】 岐阜県中津川市苗木高森2799-2

 築城時期:  元弘年間(1331〜34年)  築城者:  遠山(孫太郎左衛門尉)景長

なえぎ じょう
天然の大石を巧みにとりいれた大矢倉跡石垣(三の丸)

 遺 構  《 遺構/曲輪・天守台・石垣・空堀 》
四十八曲がり道(大手口道)登り口案内板  三の丸から二の丸への大門跡にある城址銘碑
 苗木城へは、その距離約500m、標高差150mの急峻な山道である「四十八曲り道」(別名、大手口道)を、道沿いに多くの石垣遺構の残る藪の中を登り、三の丸跡へ辿り着きました。
この、山中の細く険しい四十八曲り道は、江戸時代にも、領主の参勤交代に使われた大手道です。

 建物遺構は、城内に何も残っていないが、まず、三の丸に残る風吹門、および大矢倉の石垣に圧倒される。

 二の丸跡には、かっての城主の御殿跡があり、その礎石が広がっている。

 本の丸に至る通路には、天然の大岩が行く手を拒み、石垣に自然の巨石が組み込まれ、天守台も天然の巨石が利用されている。
 本丸は、それほど広くはないが、真下に木曽川を望み、その高さを実感し、自然の岩山に築かれた城であることが解かる。

 城址に隣接して、「苗木遠山資料館」があります。


 苗木城は、1331〜34年(元弘年間)頃、遠山景長が、高森山(標高433m)に砦を築いたのが始まりとされ、現在も残る、本丸の自然石の穴太積み石垣はその頃の遺構です。

 苗木城が城として拡張されたのは、遠山直廉(美濃岩村城主・遠山景友の子)の頃で、武田氏に対する織田信長方の最前線基地でした。

 1583年(天正11)、徳川方に組していた遠山友忠は、豊臣方の森長可によって攻められ落城しています。

 “関が原の戦い”以後、遠山友忠の子・友政が苗木藩1万石となり、代々遠山氏がこの地を領し、12代続いて明治を迎えた。

 遠山直廉の妻は、織田信長の妹で「お勝の方」と言い、二人の間には、「雪姫」と言う女子がおり、直廉の死後、お勝の方と共に信長のもとに戻り、その後、雪姫は信長の養女となり、武田勝頼に嫁ぎ、嫡子・信勝を産みました。

天守台の天然巨石  天守台より、眼下に木曽川・中津川市街を望む
参考サイト  城 感 さま コンテンツ「苗木城諸旧記」に詳しく掲載されています

追加情報
天守建物を復元

 苗木城の天守建物は二つの巨岩に跨る形状で造られ、三層となっていました。
一階部分の名称は「天守縁下」。板縁を入れて4mx5m(2間×2間半)の広さで、岩の南西側隅にありました。
二階は「玉蔵」と呼ぱれ、岩が敷地を占め、建物の床面自体の大きさは6mx6m(三間四方)でした。ここには一階と三階に通じる階段が設けられていました。
三階の「天守」は巨岩の上にあり、9m×11m(4間半×5間半)の大きさでした。

 この巨岩の上の柱と梁組は、苗木城天守三階部分の床面を復元(想定)したもので、岩の柱穴は既存のものを利用しています。苗木城天守三階部分を一部復元し、展望台として利用しています(現地説明板より)

2007.03.23掲載
本丸遠望

 

天守建物

天守建物

柱組みの様子

情報および画像提供者

城感」 管理人:たぐち殿

ありがとうございました

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