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東海地方

尾張(愛知県西部)

信長、美濃攻略のため築城 秀吉との小牧・長久手合戦時、家康本陣とする

小牧山城[こまきやまじょう] (山 城) 【所在地】 愛知県小牧市役所裏山

 築城時期:  1563年(永禄6)  築城者:  織田信長

こまきやま じょう 天守閣(模擬)
秀吉が築いた聚楽第・飛雲閣を模した三層4階建
(昭和43年築造)

内部は小牧市歴史館です

 遺 構  《 模擬/天守閣  遺構/曲輪・土塁・石垣・空堀 》
史跡 「小牧山」 銘碑
戦国の三英傑が関わる歴史ある山です 
天守閣遠景
天守が、遠く美濃の山々を俯瞰する信長に見えました
そんな アホな!
 小牧市役所へ駐車して、大手口から桜の馬場(現在は遊園地)を抜け、鬱蒼とした林の中を登城する。山頂まで一度も天守閣は見えなかった。

 山頂の天守閣は、周囲の空き地が狭いため、天守建物が納まりきれず撮影に苦労しました。中では、「小牧・長久手の戦い」など小牧の歴史などを紹介しています。


 1563年(永禄6)、尾張清洲城主の織田信長は、美濃攻略にあたって、濃尾平野にポッカリと浮かんだ島のような小牧山に目をつけ、標高86mではあるが平野部の中央に位置し、展望も良い山頂に本丸を置き、山を五段に分けて曲輪とし、土塁を築き、濠を設けて美濃攻めの本拠とした。

 しかし、疾風の如く戦国乱世に躍り出て、更なる目標に突き進む信長の在城期間は短く、稲葉山城(後の岐阜城)の斉藤竜興を攻略すると、永禄10年に岐阜城に移り、小牧山城は廃城となる。

 15年後の“本能寺の変”の後、羽柴秀吉と信長次男の織田信雄は対立し、信雄は徳川家康と連合し、“小牧・長久手の合戦”がおこり、家康は小牧山に本陣を張る。

 江戸時代には、小牧山は尾張徳川家によって管理され、入山が禁止されていた。
明治の初めには県立小牧公園として開放、その後の一時、尾張徳川家の所有となり一般公開は停止されたが、昭和5年、小牧山は徳川家より小牧町に寄付された。

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