| 東海地方 |
| 尾張(愛知県西部) |
戦国乱世の、蒼々たる武将達の居城跡
| 築城時期: 1405年(応永12) | 築城者: 斯波義重 |
天守閣(模擬) |
| 遺 構 《 模擬/天守閣 》 | |
正門&天守閣
歴代城主在城期間
織田信長 8年間
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古城跡銘碑
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清洲城は、群雄割拠する尾張を制した稀代の革命児“織田信長”の天下布武への雄飛の城です。「桶狭間の戦い」も、ここ清洲城から出陣し、今川義元を敗死させています。
約200年に渡る尾張の府城も、1610年(慶長15年)の名古屋遷都(清洲越し)により廃城。現在、遺構は何も残っていません。 古城址は、JR東海道本線・新幹線が分断し、車窓から天守閣が間近に見られます。一帯は清洲公園となり、織田信長銅像が、桶狭間方向を見据えています。 平成元年、古城跡反対側の五条川左岸に天守閣(三層4階)が築かれ、内部は、「ふれあい郷土館」として利用されています。
1555年(弘治元)、織田信長が那古野城(旧名古屋城)から入城、その後、嫡男の信忠に清洲城を譲り、美濃を制した信長は、岐阜城(稲葉山城)に移る。
本能寺の変後、城主は織田信長次男の信雄となり、大天守・小天守・三重の堀を構える大修築を行った。信雄の改易後、城主は、豊臣秀次(関白)・福島正則(秀吉子飼いの大名)と続いた。
関が原合戦後は、松平忠吉(徳川家康の4男)・徳川義直(家康9男)が城主となるなど、戦国乱世のそうそうたる武将達の居城でした。
● 本能寺の変後、織田政権の後継体制を決定する「清洲会議」(1582年・天正10年)が清洲城で開かれる
名古屋城築城に際し、清洲城の資材は積極的に利用され、名古屋城御深井丸の西北櫓は、清洲城天守の古材で作られ、「清洲櫓」と呼ばれて現存しています。 濃尾平野に位置する清洲城天守閣展望室(4階)からは、比較的近い距離に、小牧山城および名古屋城が一望できます。
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