| 東海地方 |
| 三河(愛知県東部) |
三河統一の拠点でもあった徳川家康誕生の城
| 築城時期: 1452年(享徳元) | 築城者: 西郷稠頼 |
天守閣遠景 岡崎グランドホテル・スカイレストラン「パリ」より撮影 |
| 遺 構 《 復元/天守閣 遺構/曲輪・土塁・石垣・空堀・井戸 模擬/大手門・巽閣 》 | |
天守閣(復元) |
大手門(模擬) |
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岡崎城は、徳川家康誕生の城として有名です。現在、本丸・二の丸・風呂谷曲輪・隠居曲輪・持仏堂曲輪等の一帯が岡崎公園となっている。
本の丸には、外観復元(昭和34年)された三層5階の天守閣と天守付櫓、二重の井戸櫓があります。また天守の手前には巽櫓を模した巽閣が建てられている。
隠居曲輪・持仏堂曲輪には石垣、土塁、空堀が良く残っています。
♪ 「岡崎様は五万石でも、城の下まで船が着くわ」 ♪ と詠われ
◆◆ 天守閣撮影のポイント ◆◆
1542年(天文11)12月26日、松平広忠の嫡男・竹千代が生れた。のちの徳川家康である。
豊臣秀吉による家康の関東移封後は、秀吉の家臣・田中吉政が城主となり、城の拡張を行った。
“関が原の役”のあと本多康重が入り本多氏4代が治め、江戸時代になると、三河吉田から水野忠善が入封して水野氏7代が居城。その後、松平康福が下総古河から入り、次に、石見浜田(島根県浜田市)から本多忠粛が入封し、6代目忠直の時に明治を迎えた。
なお、この最後の本多家は、徳川四天王の一雄・平八郎忠勝の本多家の嫡流である。
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虎口石垣
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竹千代(徳川家康)産湯井戸
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◇◇ 城郭復元の情報 ◇◇
岡崎市では、岡崎城跡がもつ歴史的・文化的価値をさらに高め、城跡をできるだけ本来の姿に戻す視点に立った整備基本計画を策定しました。
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