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遠江(静岡県西部)

金権と賄賂?体質を指弾された無門閥の異色老中・田沼意次の居城

相良城[さがらじょう] (平 城) 【所在地】 静岡県榛原郡相良町相良
更新 合併(2005.10.11)により 静岡県牧之原市相良町相良 に住所変更 

 築城時期:  1767(明和4)年  築城者:  田沼意次

さがら じょう 城址銘碑

 遺 構  《 遺構/石垣・土塁  》

老中・田沼意次

権勢を誇った、老中・田沼意次の城として有名

江戸で300石の紀州家家臣の家に生まれ、8代将軍徳川吉宗にその才能を見出され、その世嗣家重の“御小姓”として取り立てられ、将軍家重の信任を得て、40歳で大名となり57,000石の相良藩主となる。その後も、10代将軍家治の御側用人として仕え、田沼の専権時代を迎えて幕府に君臨する
【29年間(40歳〜69歳)徳川幕府最高職(老中)として貢献】

 相良城は、戦国時代から江戸時代にかけて平地に築かれた城で、新旧の2城がありました。

旧城は、1576年(天正4)、武田勝頼により相良湊に築かれ、数年後、徳川家康のものとなり、「相良御殿」として鷹狩りの時などに使われました。

 1758年(宝暦8)に田沼意次が相良藩主となり、9年後、城を築くことを許される身分になり、12年かけて1780年(安永9年)に完成したのが、新しい相良城です。
新城は、東西500m・南北450m・三重の堀を巡らし、建物は「けやき」づくりで、まるで竜宮城のようだったそうです。

 そんな、相良城も意次の失脚後、「意次憎し」の一念からか? 老中松平定信の命によって徹底的に破壊されてしまうこととなる。
田沼の家督を継いだ嫡孫・意明は、1787年(天明7)、陸奥下村に移封となり、相良城は破却される。

 その後、天領時代を経て、1825年(文政8)、陸奥下村から田沼意正(意次の二男)が、1万石で旧領相良に復帰、陣屋として、以降、田沼家の支配で3代続いて明治に至る。


 現在、城跡は、相良町役場・相良小学校・相良中学校の敷地となっており、役場の一角には、郷土資料館があります。

土塁
土塁上に、かつて二の丸にあった9本の黒松があります

本丸跡 銘碑


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