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東海地方

遠江(静岡県西部)

家康が築き、“海道一の弓取り”へ飛躍する拠点となった城

浜松城[はままつじょう] 別称=曳馬城 (平山城) 【所在地】 静岡県浜松市元城町
更新 政令指定都市移行(2007.04.01)により 静岡県浜松市中区元城町 に住所変更 

 築城時期:  1572(元亀3)年  築城者:  徳川家康

はままつ じょう 天守閣(復興)

 遺 構  《 復興/天守閣  遺構/曲輪・天守台・石垣 》
 浜松城の前身の曳馬城は、今川氏の家臣・飯尾氏の居城であった。

 遠江への勢力拡大を図る徳川家康は、1568年(永禄11)に曳馬城を攻略する。
翌12年、曳馬城を改修し、1570年(元亀元)、三河岡崎城を長子・信康に譲りここに移る。
1572年(元亀3)、“三方が原の戦い”で武田信玄に大敗した家康は、曳馬城も含めた大規模な築城を行う。

 1586年(天正14)、駿河駿府城に移るまでの17年間(家康29〜45歳の間)、浜松城に在城し、有名な、「姉川」「長篠」「小牧・長久手」の各戦いも、ここでの在城期間に行われている。

 1590年(天正18)から、豊臣秀吉の家臣堀尾吉晴・忠氏が2代・11年間居城する。

 江戸時代には、代々譜代大名が守り、幕閣への登竜門として移封される大名が多く、老中の居城(出世城)となることが多かった。
「天保の改革」で有名な水野忠邦も、自ら望んで肥前唐津(佐賀県唐津市)より浜松城主となって移っている。

古の 兵共の 夢のあと・・・『千里同風』
武田信玄 徳川家康 織田信長


“野面(のづら)積み”の石垣
 見るからに荒々しい。外観は粗雑で一見崩れやすいように思えるが、400年の風雪に耐え、いまなお、戦国時代の面影を残している『野面積み』の石垣。
自然石を上下左右に組合せて積んである。 表面に隙間があるが奥が深く堅固である。

 使った石材は、浜松市内の大草山・根本山・湖西市知波田産の珪岩で、浜名湖や佐鳴湖の水路を使って運ばれた。

 天守閣3階展望台は海抜50M余り。 昭和33年、野面積みの現存天守台の上に再建

 《良く整備された広大な規模の公園ですが、城の遺構が少なく物足りない感じがしました。》

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