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東海地方

遠江(静岡県西部)

二俣城[ふたまたじょう] (山 城)  【所在地】 静岡県天竜市二俣町
更新 編入合併(2005.07.01)、政令指定都市移行(2007.04.01)により 静岡県浜松市天竜区二股町 に住所変更

 築城時期:  不明  築城者:  不明

ふたまた じょう 天守台

 遺 構  《 現存/天守台  遺構/曲輪・石垣・土塁・堀  》
“信康”非業の切腹



 家康嫡男・徳川信康が切腹自害した城として有名

【織田信長の命(正室は信長の娘・徳姫)により、
1579年(天正7)9月15日、信康21歳の時のこと】

 天竜川が遠江・三河・信濃国境の山地を抜け、平野部に出ようとして大きく蛇行する河岸段丘の標高40メートルの丘陵上に、東西100m、南北350mの規模に縄張りされ、北曲輪・本丸・二の丸・蔵屋敷・南曲輪がほぼ直線上に配置される。本丸に天守台が残されています。


 築城年代は定かでないが、永正年間には今川氏の支城となり、二俣近江守昌長が10年在城ののち、今川氏重臣松井氏が城主となり、4代50年間在城。

 1568年(永禄11)、徳川家康が攻め取り、三河譜代の中根正照を城主とした。

 1572年(元亀元)10月10日、京を目指す“武田信玄”が4万の大軍を従え来襲。 が、容易に陥落せず、武田方は城の水利が天竜川に井楼を造って水を汲み上げていることを知る。
そこで、上流から筏を流して井戸楼を壊し、城の飲料水を絶つ。、篭城2ケ月、ついに徳川方は降伏させられた。

 その3年後(1575年・天正3)、再度、織田・徳川連合軍と武田軍が対決。その“長篠の戦い”で武田勝頼が大敗し、二俣城は、徳川方に奪還され、重臣・大久保忠世が城主となる。

 1590年(天正18)、家康の関東入国に伴ない、大久保氏は相模小田原城へ転封となり、この時に城は廃城となった。

井 戸 櫓
釣瓶により、天竜川より汲み上げる井戸
(清瀧寺裏手に復元)

徳川信康 霊廟
家康が菩提の為、建立したもの
天守台より500mほど離れた清瀧寺境内にあり


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