| 東海地方 |
| 駿河(静岡県中部) |
徳川家康公の隠居城として有名。後の、名古屋城・二条城築城の手本となる。
更新 政令指定都市移行(2005.04.01)により 静岡県静岡市葵区城内 に住所変更
| 築城時期: 1399(応永6)年 | 築城者: 今川泰範、徳川家康 |
二の丸 巽櫓・東御門 (復元)
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| 遺 構 《 復元/二の丸巽櫓・東御門・木橋 遺構/曲輪・石垣・濠・水路 》 |
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■ 同じ位置に3回築かれている ■
A.1399年・今川泰範により今川氏の居城(館)として築城 家康は、7歳より19歳までの13年間、今川義元の人質として駿府で生活 城は、永禄11年(1568年)の武田信玄の駿河侵攻、天正10年(1582年)の家康の侵攻で灰燻と帰す
B.家康により、1585年(天正13年)着工・4年後に完成、遠江浜松城より移る
C.大御所となり、城の大修築を行い1608年(慶長13年)完成
[金物類は全て黄金の鍍金が施され、月明かりには天守が駿河湾を照らし
■ 家康(大御所)以降の城主は3名! ■
1635年(寛永12年)、城のほとんどを焼失。1638年に再建されるが、 幕末の“安政
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巽 櫓
二の丸の東南角(辰巳の方角)に設けられた三層二重の隅櫓。二の丸西南の角には、「未申櫓」もあった。 戦闘の拠点となり、望楼、敵への攻撃、武器の保管などの役目をもつ。 全国の城郭の櫓建築でも例の少ないL字型の平面を持つすぐれた櫓です。 |
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東御門
東に位置する主要な出入り口。門前が安藤帯刀の屋敷であったことから「帯刀前御門」 また、台所奉行であった松下浄慶にちなんで「浄慶御門」とも呼ばれ、主に重臣たちの出入り口として利用され た。 二の丸堀(中堀)に掛かる東御門橋と高麗門、櫓門、南および西の多聞櫓で構成される枡形門形式。 枡形門は、要所に石落とし、鉄砲狭間・矢狭間をもつ堅固な守りの実戦的な造りとなっている。 |
二の丸堀
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鷹狩の好きだった神君家康銅像(本丸跡に建つ)
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東御門(外・表側)
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東御門(内・裏側) |
| ◆ 巽 櫓→平成元年、 東御門→平成8年、いずれも木造にて復元 | |
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◎ 駿府(静岡市)は、徳川幕府最後の将軍(15代)「徳川慶喜」が、『大政奉還』
(1867年・慶応3年)の後、30年近く(1868〜1897年{明治30年}まで)過ごした処 でもあります。 【1913年(大正2年)逝去】 |
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再 登 城 2008.08.18 |
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三の丸から二の丸へ入る北御門跡
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内堀(本丸堀)
奥の木橋から先は、中堀に通じる水路です |
内堀(本丸堀)から中堀(二の丸堀)へ通じる水路
幅4.5m、深さ約4m、長さは約95mあり、4回折れ曲がっている。本丸堀との接続部分は約2mの段差を設けて本丸堀の水位を保つ構造となっていて、水路両側以外にも、底の部分にも石が敷かれた珍しい構造になっている |
東御門二ノ門の高麗門 |
東御門二ノ門の高麗門の裏側(内側)を見る
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東御門橋周辺を見る
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巽櫓
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巽櫓と南面の二の丸堀(中堀)
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発掘調査により姿を現わした本丸堀の一部
幅約23〜30mで、 深さは約5mで、駿府城の三重堀の一番内側の濠で本丸を囲んでいた |
本丸跡に鎮座する城址碑 |
案内配置図
(現地案内解説板より) |
縄張図
(現地案内解説板より) |
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◇◇ 城郭復元の情報 ◇◇
静岡市では、「駿府城天守閣建設可能性検討委員会」を設けて天守閣建設の検討を進めています。 |