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関東地方

下総(茨城県南部)

多賀谷氏の本城、水戸徳川家始祖徳川頼房が居城

下妻城[しもつまじょう] 別称=多賀谷城 (平 城) 【所在地】 茨城県下妻市本城町

 築城時期:  1455(康正元)年頃  築城者:  多賀谷家稙

 遺 構  《 遺構/無し 》

城址銘碑 

土塁の一部(?)
 要害の城、下妻城も今では、住宅地の中にある小さな多賀谷城址公園に、僅かに土塁(?) と案内板があるだけで、往時を偲ぶことすら出来ない。
東に小貝川、西に鬼怒川、北に大宝沼と三方を囲まれた天然の要害の地に築かれた城であった。


 下妻城主・多賀谷氏は武蔵国騎西庄多賀谷郷を発祥地とし、その地に多賀谷氏館を構えて拠っていた。
 1454年(享徳3)、鎌倉公方足利成氏の命によって関東管領上杉憲忠を討った金子(多賀谷)氏家・高経兄弟は、その功により、この地を与えられて多賀谷氏を名乗った。その後、高経の子の多賀谷家稙によって下妻城は築かれた。
1590年(天正18)の“小田原の役”の後、多賀谷氏は豊臣秀吉より、6万石を安堵され、結城氏の臣下に組み込まれた。

 関が原の合戦ののち、多賀谷氏は改易となり、1606年(慶長11)に、徳川頼房(徳川家康11男・水戸徳川家始祖)が10万石で入封するが、慶長14年、頼房は、常陸水戸へ転封となる。

 その後、直轄領・松平忠昌・松平定網・直轄領と変わり、1712年(正徳2)に井上正長が1万石を賜り、以後井上氏が治封し、下妻城の西方に下妻陣屋を築き、幕末まで治めていた。

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