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関東地方

武蔵(埼玉県)

石田三成が、壱ケ月水攻めしても落城しなかった浮城(!?)

忍 城[おしじょう] 別称=浮 城 (平 城) 【所在地】 埼玉県行田市本丸17-23

 築城時期:  1479(文明11)年頃?  築城者:  成田正等・顕泰父子

おし じょう
天守代わりの御三階櫓(復興)
明治6年に解体され、昭和62年に再建

 遺 構  《 移築/門  復興/御三階櫓(天守)・鐘楼   模擬/水堀・大手門・冠木門  遺構/土塁・堤 》

模擬 大手門 

鐘楼・水濠
 関東7名城の一つである忍城は、豊臣秀吉重臣・石田三成に水攻めされても落城せず、浮城かと言わしめた城として有名です。その堤(当時の築堤は総延長28kmに及ぶ)の一部が「石田堤」と呼ばれ市内(堤根地区)及び吹上町(新幹線高架下)に残っています。

 本丸には、かって三の丸にあつた御三階櫓(天守)が復興され、また、鐘楼も復興されています。
本丸北側の諏訪曲輪には、僅かだが土類と堀が残っている。

 本丸内の郷土博物館には、忍城模型ほか城に関する資料が豊富に展示されており、郷土博物館と御三階櫓は内部で繋がっており、御三階櫓の方は2〜4階が資料室になっています。

現在は、忍城の外堀跡を利用して、周辺一帯が「水城公園」として整然と整備されています。


 1479年(文明11)頃までに成田正等・顕泰(あきやす)父子により築城され、以後、親泰・長泰・氏長と約百年にわたり成田氏4代が支配する。

 1590年(天正18)、豊臣秀吉の関東平定による相模小田原・北条氏との戦いの中で、石田三成・長束正家らの水攻めにも、篭城一ヶ月落城せず、相模小田原城開城の後、開城する。

 徳川家康の関東入国により、1592年(文禄元)家康四男松平忠吉が10万石で入城、関が原合戦後、忠吉は尾張清洲に移り、その後、天領となり城番が置かれた。

 1626年(寛永3)、武蔵深谷から酒井忠勝が5万石で入封。寛永10年に松平信綱が3万石の城主となり、寛永16年には、下野壬生より、阿部忠秋が5万石で入る。1702年(元禄15)頃に大修築が完了、阿部氏は、9代184年間続く。

 1823年(文政6)、、伊勢桑名から松平忠堯が10万石で入封し、4代(48年あまり)続いて明治を迎える。

 明治維新の戦火を逃れた忍城も、明治6年には主な建物が競売に付され、かっての面影は全て失われた。

 江戸時代中期より発達した、行田の足袋は現在でも、年間約500万足、国内シェア約50%を占めています。
また、行田名物「フライ」は、お好み焼きとクレープの中間みたいな美味しくて不思議な食べ物です。ゼリーフライもオススメです。


模擬 大手門裏側 

模擬 冠木門 

現存 土塁 


石田堤(行田市側) 

石田堤(吹上町側) 

水攻めイラスト図
現地解説板(吹上町石田堤史跡公園)より 


移築現存 黒門(北谷門)
所在地:加須市不動岡2丁目 總願寺境内
 


忍城時代まつり にリンク

「行田市」公式HP へリンク
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