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◇◆◇ 北海道の城郭 ◇◆◇

 北海道では、「城」という言葉からイメージする日本式城郭は、松前城ただ一つですが、

その築城目的により、

A. 中世の室町時代から戦国時代にかけて、主に、道南に作られた「館」(たて)と呼ばれるもの
B. 日米和親条約調印(安政元年・1854年)以降に竣工している、
松前城・五稜郭 東北諸藩の  陣屋
などに分類されます

 上記A.の「館」は、堀・土塁・木柵などで囲まれたものが多く、館主同士の牽制の役割もありましたが、館主が勢力を広げようとすれば衝突せざるを得ないアイヌの首長達に対する役割がありました。

B.のほうは、当時、北辺の海に頻繁に出現するようになっていた外国勢力に対する性格を持っています。

上記の他、北海道には、 チャシ(アイヌ語で、「柵囲い」)といわれる砦のようなものが道内各地にあります。

道内のチャシについて

 チャシとは一般的には「砦」とか「城」と言われていますが、もともとはアイヌ語で「柵」とか「柵囲い」を意味する言葉で、チャシコツとは砦址を表します。
このチャシ・チャシコツを漢字に当てた「茶志」「茶志骨」という地名は北海道のあちこちで見かけます。
 「砦」・「城」と訳されているチャシは、今日われわれが「砦」や「城」という戦闘的な言葉から連想するような強固でしっかりとしたものではなく、元来あった自然地形を利用して築かれた簡便なものであった。

 チャシは利用された自然地形の性格により次の五つに分類される。さらに、この分類の内のいくつかを組み合わせた複合式と呼ばれるものも存在します。
A 丘先式…突出した台地(丘陵や岬など)の先端を弧状の壕で区切って利用したもので最も
  一般的なもの
B 丘頂式…山や尾根の頂上部に周壕をめぐらしたお供餅型のもの
C 面崖式…崖に面する台地上に半円形または四角形の壕をめぐらしたもので、ピラチャシ
  (崖チャシ)とアイヌ語では言う
D 孤島式…湿地中や湖中に孤立している丘や島をそのまま利用したもの
E 平地式…比高2m以下の低い立地のもの

 チャシの機能や性格としては、「砦」・「城」から連想される争いや戦いにおける防塞的な役割が与えられていたものの他に、濠などによって隔てられた祭式を行う聖域としての機能を持ったものもある。
さらに、部族同士の談合(チャランケ)の場や、鮭採取などのための見張り場として使われていたものもある。

 前述のようにチャシは地形を最大限に利用しているため、その形態は地形の影響を相当に受けており、方形あるいは円形で濠に囲まれることが多かった。このチャシの壕は直状、弧状、方形、半円状、円状などがあり、その数は1〜3条掘り込まれているものが多い。

 以上のようなさまざまなチャシの出来た時代を推測すると、いまだ全面発掘に至った遺跡の数が少ないため確かではないものの、ほとんどが16世紀から18世紀に構築されたのだということが推定されている。

 昭和48(1973)年、北海道教育委員会は初めて全道規模のチャシ分布調査を実施し、341基のチャシを確認しました。(現在では545基のチャシが確認されているそうです)

 チャシの分布は、概ね全道的な広がりを見せていますが、釧路・十勝・根室・日高支庁に特に集まっており、この4支庁で全道の約3分の2を占めています。さらに詳しく見てみると、釧路川・十勝川・利別川・静内川・沙流川・鵡川・石狩川などの流域、厚岸〜浜中付近、根室半島部に集中しています。つまり太平洋側のいわゆる東蝦夷地に多く分布していることになります。


 なお、アイヌの人々には、これまで、歴史などないという考え方がずっと支配的でしたから、「アイヌ史」というのもまた存在しなかったのです。
 それは何故かというと、歴史の考え方の基本には、史料というものがあります。それを分析し、解釈しながら歴史事実を組み立てていきます。史料というのは、文字によって記録されたものです。
 アイヌの人々には自分たちの文字の記録がなかっただけで、シサム(和人)と同じくらい長い間、この日本列島に住んでいたのです。歴史がない訳がありません。
アイヌの人々に歴史がないのではありません。歴史として書かれなかっただけなのです。 

 アイヌの人々にはユカラなどの口承文学があるといっても、そこに歴史的事実が反映されているかどうかは判りませんし、その検討もまだまだ不十分です。ですから、シサムの側に残された記録を主に利用することになります。
 しかし、これはアイヌの人々にとっては、外側から見て書かれた記録ですから、実態が正しく伝えられているものばかりとは限りません。書かれている内容を詳しく検討して行くという作業からまず始めなければなりません。そして、アイヌの伝承などとも考えあわせて、信頼できる史料を集めていく必要があります。そうした努力を重ねてはじめて本格的なアイヌ史を書くことができるのです。

 そのような訳で、アイヌの人々のチャシについても同じことが言え、解かっていることが多くないのが事実です。まだ始まったばかりなので、これからの研究に期待したいと思います。 


旧国名 城郭名 所 在 地 主な城主 形態 指定
蝦 夷 五稜郭 函館市五稜郭町44 江戸幕府(徳川家定)・蝦夷共和国 稜郭式 国史跡
四稜郭 函館市陣川町59 旧幕府軍 台 場 国史跡
志苔館 函館市志海苔町 小林重弘・小林良景・小林良定 平山城 国史跡
権現台場 函館市神山3丁目(神山稲荷神社) 旧幕府軍 台 場 市史跡
松前藩戸切地陣屋 北斗市野崎66-10 松前崇廣(たかひろ) 陣 屋 国史跡
茂別館 北斗市字矢不来131-1他 安東盛季・下国(茂別)家政 山 城 国史跡
松前城 松前郡松前町字松城 松前慶廣・松前崇廣 平山城 国史跡
勝山館 檜山郡上ノ国町勝山 武田(蠣崎)信廣 山 城 国史跡
花沢館 檜山郡上ノ国町勝山 蛎崎季繁・武田(蛎崎)信廣 平山城 国史跡
館 城 桧山郡厚沢部町城丘 松前徳廣 平山城 道史跡
南部藩砂原陣屋 茅部郡森町砂原3丁目 南部美濃守 陣 屋 国史跡
南部藩長万部陣屋 山越郡長万部町陣屋町 南部美濃守 陣 屋 国史跡
エンルムチャシ 室蘭市絵鞆町2丁目11-7 不明 チャシ 市史跡
南部藩モロラン陣屋 室蘭市陣屋町2-5-1 南部美濃守 陣 屋 国史跡
館山チャシ 伊達市館山町(館山公園) 不明 チャシ 市史跡
白老チャシ 白老郡白老町字白老769の56 不明 チャシ 町史跡
仙台藩シラオイ陣屋 白老郡白老町陣屋町 三好監物 陣 屋 国史跡
モシリヤチャシ 釧路市城山町 チャシ 国史跡
ユクエピラチャシ 足寄郡陸別町トマム チャシ 国史跡
オタフンベチャシ 十勝郡浦幌町直別 チャシ 国史跡
根室半島
チャシ跡群
根室市内にある24ヵ所のチャシ跡の総称
内訳名称および、その各所在地等については、後日掲載します
日本100名城の一つ チャシ 国史跡

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