月6日

「新年に念願すること」      
                Uコリント5章1−10節


新年の念願が、この聖書箇所にある。希望、務めと動機の三つである。希望とは天国である。すぐ破れる天幕のごとき身体に代わる新しい身体を受けて天国に生きる究極の希望。各人異なる務めだが、最優先されるべき務めがある。主イエスのみそば近くに居ることである。主に救われたのは、そば近くで主と語らい、交わることである。何をするにも、何を語るにも動機とすべきは「主に喜ばれること」である。何故なら、身体において行った行いはすべて、キリストの裁きの座において報われるからである。医療ミスで誕生6週間目に盲目となった作詞家のF・クロスビー女史は生涯に9000曲を作詞した。その賛美歌は今なお全世界で愛唱される。95歳で天寿した彼女の秘訣は、天国への希望、主第一の務め、正しい動機であり、その精神は聖歌646番に表現される。「業を成し終えてこの世を離れ、かなたの御国に行かば、輝く明けがた、笑みをたたえて、主は我を迎えまつらん」

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1月13日

「主の愛に動かされ」
  
                                                       Uコリント5章11−15節


 5章初めから天幕のように痛み易い身体ではあっても、やがて新しい建物に比する復活の身体が約束されている希望を語るとともに、将来には肉体において行った愛の行為が報われるキリストの裁きの座を展望したパウロの人生を動かした動機が述べられます。それは主を恐れる精神であり、迫りくるキリストの愛であり、それゆえに神と人のために生きようとする心構えでありました。「主を恐れることは知識の初めである。」箴言1章7節。存在の根源である主を畏敬の念で敬うことこそ人がわきまえるべき健全な精神であります。迫害に情熱傾けたユダヤ教徒のパウロを逆転させ、福音宣教に駆り立てたのはキリストであり、十字架に啓示されたキリストの愛の迫りでありました。自分に代わり罪の犠牲となられたイェスを知った彼は自己中心から解放されて神と人のために生きる愛の聖徒に変えられたのです。

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1月20日

「和解の務め」

Uコリント5章16〜21節

 すべてのキリスト者がやがてキリストのさばきの座に現れて報いを受けるという展望を見据え、11節から15節に生きる動機を述べたのに続き、16節から21節に健全な自己意識が明らかにされます。第一に「新しく造られた者」という自覚です。キリストがその人の人生に介入されると全く新しくされるのです。新しく造られた者の優れた特徴は他の人を知る標準が変えられることです。同じ環境にありながら人の見方、物事の視点が変わることによって、すべてが新しくなる経験をさせられます。その人はまた新しい務めとして「和解の言葉」が委ねられ、神に代わって人々に神との平和に入るように勧める自覚が与えられます。対立し憎しみ恨む人々の和解の前提は神との和解なのです。キリストの十字架によって人が神と和らぐ時に人とも和らぐ事ができ、人間関係の破れに解決をもたらすことができるのです。
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1月27日

「恵みを無駄には受けず」

Uコリント6章1〜10節

使徒パウロがコリントの教会に懇願している。だが、よくよく読むと何と神様が懇願されているのが透かし見える。何故ならパウロは神とともに働く者であるからだ。神は御子キリストにより実現された十字架の救いの恵みを受けるように、しかも無駄にしないで受容するよう懇願される。罪赦されて救われ神との関係が正常にされるのは神の贈り物だ。無駄に受けるとは、救いの恵みを自分のものにすることを回避して先延ばしすることだ。「今は恵みの時、今は救いの日」なのだ。強調されるは「今」であり、過去でも未来でもない。今、現在どう生きるかが問われている。今、神との関係が正常であるようにと神様は懇願されている。救いは強制されない。感謝して謙虚に信仰によって受けとることにより体験される。差し出されている神の贈り物、救いの恵みを先延ばしすることなく、今受け入れよう。神は確かに祈りに応え助けてくださる。

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