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     第16話 史上初日本人ブルースレコード?『Live in magazine No.1/2』


妹尾:『magazine No.1/2』マガジンハーフという店を知ったのは、レイジー・キム(中川公威)に出会ってから。
   彼に連れて行ってもらったのね。1971年か1972年だったと思う。
   レイジー・キムのバンドに誘われて、『magazine No.1/2』で演る様になったの。
   この店は西新宿の十二社(じゅうにそう)という交差点の近くに有ったんだけど、
   Googleで検索しても今は十二社というのはないね。当時からあった熊野神社前が近いかな。
   新宿駅西口を出てからずっと真っすぐ行ったら、その頃は高層ビルが京王プラザホテル一個だけだった。
   怖いなあ!と思いながら通ってた記憶がある。

 _:なんで怖かったのか教えて下さい。

妹尾:なんで怖いか(笑)
   地震がきて、高い高いビルが倒れてきたら、360度何処に倒れてきても絶対つぶされると思ってね、
   もうビクビクしながら、ビルの近くになるとワーッと早足に成ってた(笑)
   絶対逃げられへんと思って(笑)
   当時、僕は新宿から電車で一時間くらいはかかる福生(ふっさ)という所に住んでいたのだけど、
   キムと『magazine No.1/2』に出る様になってからは、だんだんライブが面白くなってきて、
   ライブの後も楽しいもんやから夜遅くまで皆と話し込んだりして。
   そんな時はバンドメンバーや友達の家とか、気軽に泊まれる家に泊めてもらったり、
   オールナイトの喫茶店で始発電車待つとか、どっかの店で朝までワイワイ飲んでたりした。
   その頃は酒飲まへんかったらブルースでけへんと思い込んでたし。
   キムがさ、なんでか知らんけど、当時としてはもの凄く深〜いブルースやってる様な気がして。
   キムはなんでこんなん出来るのかと思って、「天才や!」
   キムも酒飲みやったし。
   まあ、ブルースとお酒ってさ、あの頃は誰もが絶対合うとしか思えへんかった。
   俺は下戸やったけど一生懸命飲んで、無理して飲んでたの。
   最初の五分位は立ってられるものの、五分過ぎたら立ってられへん様になって。
   たとえば、ワンカップ大関グーッと飲んだりしてね。

 _:ワンカップ大関ですか。

妹尾:うん、なんで?.

 _:ワンカップ大関はブルースっぽくないと思いますけど。
   ライブハウスにワンカップ大関があったんですか?

妹尾:お店のドリンクじゃないよ。 自分で買ってくるのよ。
   酒飲みながら演奏してて途中で寝てたりしてたとかね(笑)
   「あれ? ハーモニカ聴こえないなあ、と思ったら妹尾ちゃん寝てる!」って云われた。
   カッコつけて酒飲んで寝てるだけじゃなくて、もう苦しくてね。
   ある時「終電乗るわー」って『magazine No.1/2』出て新宿駅に着いたのはいいけど、
   あっと気が付いたら朝方になってて、新宿駅の便所の中でグターと倒れて寝てた事があったし。
   苦しくて吐いてたんやね。
   それでも、ぜんぜん酒強くなれなくてね。

 _:それですぐに、お酒飲むの止めたんですか?

妹尾:いや、止めなかったよ。 10年くらいは飲んでたかな、沢山は飲まなかったけど。

 _:でもライブ前は飲まない様にしたんでしょ。

妹尾;もちろん! もちろん演奏終わってからよ。演奏が一番大事だからね。
   演奏が終わってから、皆でワーッと騒いでる時に、俺も調子こいて「飲むわ〜」って云って。
   最初の2〜3口は美味しいからね。酒の味は嫌いじゃなかったんで。
   でも酔っ払いそうになってきたなあと思ったら、それ以上は飲まない様にしてた。

   当時、毎月京都に行ってたから『ウエストロード』の連中を『magazine No.1/2』に誘ったりしてね。
   あとは『magazine No.1/2』にどんな人が出てたかな?
   『南阿佐ヶ谷ブルースバンド』とか『スイートホーム・シカゴ』
   ジャズの人なんかも出てたのかな? でもジャズのライブはあんまり観に行かなかった。

 _:井手隆一さんは?

妹尾:彼はレイジー・キムのバンドのピアノ。のちに『デイブレイク』でも最初参加してもらってるけどね。

 _:田村博さんも出てたみたいですね。

妹尾:出てたよ、僕が誘ったの。

 _:1973年に収録された、限定500枚の『Live in magazine No.1/2』というレコードですが

妹尾:うん。僕はちょっと忘れてたんだけど、お店を閉店する記念にレコーディングしたんだってね。
   『レイジー・キム・ブルースバンド』と田村博。『ウエストロード・ブルース・バンド』
   あと、トックンだ。ジャズの『沖至クインテッド』のベース。
   トックンはブルースが好きで、よくセッションに来てくれてね。

 _:『magazine No.1/2』に出演していたミュージシャンは沢山いたみたいですが
   レコードに収録されているミュージシャンは少ないですね。

妹尾:昔のLPレコードは、片面20分位ずつで。あんまり入らなかったからね。
   6曲しか入ってないんだね。

 _:収録日は、1973年4月23日〜28日と書いてありますね。

妹尾:たくさん録って、いいやつだけを選んだのかな?

   『magazine No.1/2』のお客さんの中に音楽が好きでブルースも好きな、NHKの関係の人達が居て、
   機材を無償で提供してくれた記憶があるよ。
   録音する為のマイクとか持って来て手伝ってくれたと聞いた。
   でもLP盤にするまでの制作費は、お店がお金出したんだと思うよ。
   だから、僕らも手売りしたよ。

 _:このレコードの演奏を、一ヶ月位前に聴いてみましたが覚えてますか?

妹尾:うん、覚えてるよ。

 _:6曲全部、暗〜いスローブルースでしたね。

妹尾:そう、あの頃スローブルースが流行ってたんよ。
   スローブルースを上手に演れるっていうのを目指してたの。

 _:暗いスローブルースこそブルースの真髄、ブルースの中のブルースという感じだったのでしょうか。

妹尾:そうそうそうそう! 泣けるブルース。 思い込みやね。
   スローブルースだけがブルースだとは思ってないけど、ブルースの醍醐味というのかな、
   スローブルースを御機嫌に演れるミュージシャンに成りたいと思ってた。
   そんな目標があったね。

 _:キムさんは欧米で本物のブルースを聴いていて、誰よりもブルースをよく知っていた人だったそうですが
   彼もスローブルースばかり演奏していたのですか?

妹尾:キムはね、アップの曲はあんまり演らない。
   キムはブルースの雰囲気はよく知っているけど、ギターのテクニックは伸ちゃんや山岸の方がよっぽど上手いと
   キム自身思っていて、俺(キム)の特徴はねちっこくギターを弾いたり歌ったりする事、
   それが取り柄と思ってたと思う。
   僕らもキムの演奏を聴いて、ねちっこさとかに度肝抜かれた。
   メロディーのないアドリブソロを聴かされて、何するか分からん様なスリルがあった。
   どないしたら、あんなアドリブが出来るんやろ? みたいな感じやな。
   なんせ、生で現場に接したら、当時の僕らの音楽なんかはペラペラペラッて軽いもんでさ。


 _:この『Live in magazine No.1/2』というレコードは、
   日本人ブルースのレコードとしては本当に最初の物ですよね。 史上初?

妹尾:そうなると思うね、そういえば。


 _:妹尾さんはハーモニカの練習を始めて何年目位だったんでしょう?

妹尾:「俺ハーモニカやるわ〜」って 練習始めたのが1970年頃だから3年目位だと思う。

 _:3年目位で、ここまでの演奏が出来る様になっていたんですね。
   このレコードの演奏、実はあまり期待しないで聴いたんですが、
   最初の部分、妹尾さんが話してる後ろで演奏してるのが、とてもいい感じなので、びっくりしました。
   もっともっと下手なのかと思ってましたが、以外でした。
   あの演奏はキムさん達ですね。

妹尾:うん。井出隆一

 _:ピアノは田村博さんのピアノの音だったと思いますが

妹尾:あっ、そうか。そうだそうだ、田村さんだ。

 _:40年前でも、田村さんのピアノはやっぱり田村さんのピアノの音なんですよね。

妹尾:ギターはレイジー・キムだね。

 _:あのレコードの演奏の中では、最初のバックの演奏が私は一番好きですね。

妹尾:そうね。 
   僕らもね、そういうのを目指してたのは確かなのよ。
   むこう(アメリカ)のね、ライブハウスのレコードをいろいろ買ったらね、
   歌手が喋ってる間、後ろで小ちゃくね、ブルースを演奏してるの。スローブルースを演っててね。
   ほんで話が終わったら、いきなりトン!と歌に入るのね。
   そういうカッコ良さを演出したいと思ったからね。
   学びたいと思ったね。キムは欧米生活の経験があって、本物のライブを聴いてよく知ってたからね。

 _:妹尾さんも日本語で歌ってましたね。

妹尾:うん、そう。あの頃はね。

 _:ハーモニカのアンプはヴォーカルアンプを使っていたんですね。
   マイクもヴォーカルマイクでしたね。

妹尾:そう、ヴォーカルマイク、ソニーの『エレクトリック・コンデンサー・マイク』
   アンプは、『ヤマハ200Wヴォーカルアンプ』って書いてある。
   その頃は、音が割れりゃいいと思ってたの。感度が高いマイクが割れ易いから。
   で、当時はギターアンプに突っ込んでやる事は知らなかったから。
   ヴォーカルアンプ使った方が、音がちゃんとポーン!と出るし。

 _:ギターアンプよりですか?

妹尾:ギターアンプだと、すぐハウリング起こすし。
   というより、その頃は昔シカゴで使っていたハーモニカ用の特別なマイクが有る事を知らなかったの。
   ハーモニカのマイクもヴォーカル用マイクだと思ってたし。
   僕が使ってた『エレクトリック・コンデンサー・マイク』は出力が小さいの。
   だからギターアンプに突っ込んでも小さい音しかしない。
   それでボリューム上げるとキーンとすぐハウルしね。
   そうするとヴォーカルアンプを使った方がマッチングする訳よ。
   このヴォーカルアンプは僕の私物だったから『magazine No.1/2』が閉店した時に車に積んで
   京都の『拾得』に持って行ったの。重いからライブの度に運ぶのは面倒だから、
   まだヴォーカルアンプが無かった『拾得』に置きっぱなしにしたのね。
   当時の『拾得』は生でフォークギターと生歌でマイク使わないライブをちょくちょく演ってたみたいで
   「自由に使っていいから」と云ってアンプを置かせてもらったの。

 _:昔は『拾得』で定期的にライブ演ってたんですね。
   この頃、この何十年か、ライブしてませんね。

妹尾:あの頃は年に何回かは、やってたと思うよ。
   ウエストロードとか他にも京都に知り合いのミュージシャン仲間はいっぱい居たしね。


 _:レコード『Live in magazine No.1/2』の演奏を聴いて、御自分のハーモニカはどうですか?

妹尾:(大声で)そんなもん。誰にも聴かれたくないよ!!

(大笑い)

 _:恥ずかしい?

妹尾:恥ずかしい!
   ホトケも云うてるやん「あぶら汗が出る、気恥ずかしい。」って。
   こういうの世の中に出回って欲しくない。

(大笑い)

 _;持ってる人はコピーして、いろんな人に渡さないで欲しいですね。

妹尾:そうそうそう!!
   ばらまかないで欲しい!


 _:そういえば、演奏者が間違って書いてありましたね。

妹尾:間違ってるね。ホトケとキムが反対に成ってたね。


 _:それにしても、ハーモニカの練習を始めて3年目でこれだけの演奏が出来てるというのは驚きです。
   何しろブルースハープの情報が少ない時代ですし、自己流で四苦八苦の練習でしたでしょうからね。
   まあ、恥ずかしいという気持ちも良く分かりますが、りっぱ、りっぱ。
   そうそう、日本でアンプ使ってブルースハープのの演奏した人は妹尾さんが初めてではないですか。

妹尾:そやな。
   これでも当時としては、上手かったんやろうなあ。

     2014年4月25日