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電信用和文タイプライターの歴史

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電信用和文タイプライターの歴史

黒澤貞次郎とタイプライタ

 日本のタイプライターは、黒澤貞次郎氏が、明治31年(1901年)、L.C.SMITH社及びCORONA社の代理店として銀座に黒沢商店を開いたときから始まります。その際、英文のタイプライターを和文電信用タイプライターに改造して日本に紹介したようです。

 大正3年(1914年)5月、歐文電報の翻書用として大阪中央電信局でタイプライターを採用しました。これが我が国で電信にタイプライターを使用した始めの局です。同局はさらにこれを、和文電報まで広げようとし、和文タイプライターの考案者である黒澤氏に試作を依頼しました。
依頼を受けた黒澤氏は、大正6年(1917年)L.C.SMITH社のタイプライターを改造し、電信用のカタカナタイプライターとして製作しました。「和文スミス」の完成です。

 その後、昭和8年(1933年)電信用カタカナタイプを国産化し、東京で造られたAからZまで打てるマシンの意で「アヅマタイプ(AZMA TYPE)」としました。

また黒澤氏はそれと同時期に、印刷電信機(テレタイプ)の開発も進め、実用化しました。

中島精密工業

 一方の中島精密工業は、大正11年(1922年)9月 創業者の中島語一氏により設立された合名会社中島商店がはじまりです。
当時は、ナンバリング、タイムスタンプなどの製造を手がけていたようです。

 その後、昭和17年(1942年)10月14日、中島精密工業株式会社とし、戦時中においては、航空機部品の製造を行っていました。
戦後しばらくの間、事務機器の製造をしていましたが、昭和24年12月、電気通信省の要請で電信用タイプライターの作成を決定しました。

 翌年昭和25年9月、試作機第一号を完成し、東京電報局での試験を経て量産体制にはいりました。
資料によると、昭和27年には、総売上の70%を占める成長製品となり、1125台、約6000万円の売り上げとなったようです。

 その後、この成功により国鉄のタイプライタ製造へと業績を伸ばしていきました。
昭和35年には、日本電気との資本関係を結び、電子計算機入出力機器(ニアックライタ)を主力製品としました。
昭和45年12月1日 日本データマシン株式会社に社名を変更しました。この当時はすでに電信用タイプライタの製造は激減していた模様です。

 昭和61年2月8日 日本電気データ機器株式会社と社目を変更し、日本電気の100%出資会社となりました。



参考
黒澤タイプライター http://perso.orange.fr/kurosawa/ginza.html

電気通信大学 歴史資料館 http://ssro.ee.uec.ac.jp/lab_tomi/uec/museum/collection/original/320.html
同上  http://ssro.ee.uec.ac.jp/lab_tomi/uec/museum/collection/5-9.html

中島精密工業の歴史について 残念ながら参考としたページが失念してしまいました。


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