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トルコ:トロイ遺跡

トロイの木馬


トロイと言えばやはりトロイの木馬、そしてトロイ戦争が思い起こされる。
写真は観光用に作られたトロイの木馬。

トロイ戦争

トロイ戦争の発端はペーリオン山で行われたフティアの王ペレウスと海の神テティスの結婚式にあった。この結婚式にはすべての神々が招かれたが、争いの神エリスだけは招かれなかった。怒ったエリスは金のリンゴに「最も美しい女神に」と書いて婚礼の場に投げ入れた。

金のリンゴの所有をめぐってゼウスの妻ヘラ、ゼウスの娘アテナ、美の女神アフロディーテの三女神が争い、誰がリンゴを受け取るのにふさわしいかゼウスに審判を求めた。
ゼウスはトロイの王プリアモスの息子パリスに判定を委ねた。

女神はそれぞれパリスに賄賂を持ちかける。ヘラはアジアとヨーロッパの支配権を、アテナは勇気と勝利を、そしてアフロディーテは世界一の美女との恋を約束した。 アフロディーテが約束した世界一の美女とはスパルタの王妃ヘレネだった。

パリスはアフロディーテが最も美しいとの審判を下し、ヘレネをつれてトロイに帰った。ヘレネを連れ去られたスパルタはトロイに攻め込んだ。こうしてギリシャ連合軍とトロイの戦いが始まった。

(叙事詩環キュプリア)

トロイの城壁は堅く、10年目を迎えても戦いの決着はつかなかった。 ギリシャの知将オデュッセウスは大きな木馬を残して退却した。トロイは一夜のうちに陥落し、ギリシャが勝利した。

(イリアス、叙事詩環アイティオピス、小イリアス)

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イリオス

ギリシャ神話に登場する伝説上の都市と思われていたイリオス。そしてトロイ戦争の舞台とされたイリオス。この伝説を信じたシュリーマンの発掘によりイリオスはこの地に実在したことが明らかになった。

イリオスの起源

トーロスの子イーロスはフリギアの王が主催した相撲競技で優勝した。
王はイーロスに牛を与え「その牛が横になったところに都市を築けとの神託があったので、そのようにするがよい。」と言った。

イーロスが牛について行くと、牛はアテと言う丘で横になった。
イーロスはそこに都市を築き、イリオスと名付けた。

ラオメドンのためにポセイドンとアポロンがトロイの城壁を築いた。
ラオメドンはポセイドンとアポロンが要求した報酬を拒絶し、イリオスの災いの元となった。

トロイ戦争の時、イリオスを治めていたのがラオメドンの息子プリアモスであった。

イーロスの父トーロスが治めていたダルダニアの地はその名にちなんでトロイアと呼ばれていた。しかしイーロスがトーロスの後継者となり、トロイアとイリオスは統合されたのだろうか。

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東の塔と城壁

第 6市時代の塔と、それに続く城壁・城門。
トロイ戦争は紀元前1200年頃第7市の時代と言われているが、第7市の遺跡はほとんど残っていないと言う。
イリアスに謳われたトロイの城壁はこのようなものだったのだろうか。

トロイ城の攻防

ギリシャ軍の英雄アキレスはイリオスを攻めた。トロイ勢は城内に逃げ込む。
トロイの王子ヘクトルは両親の歎願も聴かず、門外に留まってアキレスを迎え撃つ。
アキレスはヘクトルを追い回して城壁を三周した後一騎打ちとなり、ヘクトルはアキレスに討たれる。
アキレスは友人パトロクロスの仇であるヘクトルの遺体を戦車に縛り付け引きずりまわす。
ヘクトルの両親と妻アンドロマケが歎く。
アキレスの枕元にパトロクロスの亡霊が現われ、自分の火葬を督促する。
(イリアス第 22歌、 23歌)

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アテナ神殿

第 8市時代に建立。第 9市時代に再建



石段を上った高台にアテナ神殿の説明版がある。説明によると残っているのはシュリーマンとデルプフェルトによる発掘跡と大理石の破片。
近くに天井の仕切り縁の一部が残っている。犬が水を飲んでいるのもそれらしく見える。
模様の刻まれた石材はなんだったか。

アポロとヘリオスのレリーフも出てきたが、それらはベルリンで展示されているとのこと。

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メガロン式住居

石組の土台の上に赤土のレンガを積み上げて構築してある。

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第1市城壁

トロイ第 1市時代の城壁。積み上げられている石が東の城壁に比べると小さく不規則に積まれているように見える。

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シュリーマン トレンチ

シュリーマンが発掘のため、掘り進んだ後。この上にあった何層もの遺跡は破壊されてしまったそうだ。今残っているのは最下層のトロイ第 1市の遺跡。
横に並んで見えるいくつかの石積みの列は当時の住居の基礎部分。

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地層

地中に何層にもなって古代都市の遺跡が埋もれていた。右の拡大写真には第 2市、第 3市、第 4市の表示が見える。

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傾斜路

紀元前2600〜2300年 第 2市
南西の門につながる傾斜路。
シュリーマンはこの手前の溝でプリアモスの宝と呼ばれる黄金を発掘。彼はこの遺跡がトロイ戦争の時代のものと思った。このためか、ここからトロイの木馬が場内に引き入れられたとする話も残っている。時代が違うようにも思うが、トロイ戦争の時にもこの傾斜路は残っていて、ここからトロイの木馬が場内に引き上げられた話も否定はできないような気もする。

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聖域

第 8 〜 9市時代。アレキサンダー大王時代の神に生贄を捧げる儀式を行った場所。

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泉水殿

第 8 〜 9市時代。

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オデオン

第 9市時代。音楽、演劇、会議に使用されていた。

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南門付近の城壁

スカイア門の戦い

南門にむかって左側の物見台付近と思われる。ホメロスがイーリアスで謳うスカイア門とはこの南門だとも言われている。
アガメムノンがトロイ勢をスカイア門まで押し戻したのは、そしてトロイ勢を追ってきたアキレスの前にヘクトルが立ちはだかったのは、このあたりだったのだろうか。
トロイ戦争において数々の戦いがくりひろげられたスカイア門と言われるこの南門。正面からよく見てこなかった事が悔やまれる。

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トルコ:トロイ遺跡

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