石田重成腰刀  寸延短刀 銘 備州長船祐光 宝徳三年八月日

国 : 備前国 (岡山県-南東部)
時代 : 室町時代前期 宝徳三年 1451年刃長 : 33.7cm (1尺1寸1分) 反り : 0.4cm (1分)
元幅 : 2.5cm 元重 : 0.7cm
姿 :平造、庵棟、身幅尋常にて、重ね厚く、寸延び、わずかに反りつく。
鍛 :板目精良によく錬れて破綻無く、杢交じり、処々ながれごころに、地沸つき、地景入り、乱映りよくたつ。※1
刃文 :互の目に腰開き互の目・小互の目交じり、足入り、匂い本位に小沸よくつき、金筋入り、砂流しかかり、明るく冴える。
帽子 : 乱れ込み先尖って深く返り、先掃きかける。
茎 :ほとんど生ぶ、先栗尻、鑢目勝手下がり、目釘孔二中一埋。
拵 :黒呂色印籠刻塗鞘呑込み合口造短刀拵 総長 : 51.2cm
目貫 :菊花図、赤銅磨地、容彫、金ウットリ色絵、銀露象嵌
小柄 :枝菊図、赤銅魚子地、高彫、金色絵、無銘 総長 : 9.6cm
笄 :枝菊図、赤銅魚子地、高彫、金色絵、無銘 総長 : 21.4cm
柄 :白出鮫 長さ:13.6cm
備考 :中古刀 中上作。良業物。
昭和二十六年 長崎県登録

※1拡大画像では肌が起きたように見えますが実物目視では地鉄はもう少し伏せ気味に絶妙な詰み具合です。

六郎左衛門尉祐光は、右京亮勝光、左京進宗光兄弟の父であり、それは御物東博銘刀押形の「文明九年祐光次男左京進宗光」の作により明らかである。
永享から文明頃にかけて活躍し、同時期には「寛正則光」で名高い五郎左衛門則光とは作風、銘字が似ており、兄弟ではなくとも同じ長船の一家内にあったと思われる。
(五郎左衛門尉則光との兄弟説も有力)作風は則光と比して優しいものが多い。
則光・祐光は応永備前から末備前の中間に位置する長船正系の良工である。

地鉄の美しさでは祐光、刃文の優雅さでは則光と地鉄の美しさは応永備前・永享備前・末備前の中でも優れた物が多い。
宝徳三年は応永元年より数えて57年後であり、同じ平造りで身幅の割に寸の延びた短刀姿でも若干の相違があらわれてくる。
地鉄は板目に杢を交え映りが立ち、腰開き互の目などは応永備前の作風を残しつつも、やや寸が短く、反りがある、
重ねがより厚めになるところなどは次の時代である室町中期の応仁・文明頃への過渡期的なものといえる。

故人間国宝藤代松雄氏によって最上研磨され、地鉄には一点の傷気もなく冴え、刃中には金筋がおどり、帽子は乱れ込み尖って力強く、
総体に健全で覇気が感じられる備前物の魅力を遺憾なく発揮した名品である。
室町前期の上級武士の腰刀の典型ともいうべき平造脇差。室町将軍と言えば、三代足利義満の金閣寺建立に象徴されるように絶大な権勢を誇った。

が、実は守護大名の力も強く、紛争の火種は常に尽きず、片時の油断もできなかった。それ故、仕来たりでは邸内にて着用するのは八寸前後の短刀とされたが、
万一に備え、将軍をはじめ武士たちは一尺を越える長さの反りのごく浅い平造脇差を帯びていた。
事実、嘉吉の乱で将軍義教が播磨の守護大名赤松満祐の邸内で凶刃に倒れた時、必死の応戦を試みた側近の武士たちが用いたのは腰刀であった。
附帯する黒呂色印籠刻塗鞘呑込み合口造短刀拵も三所物を菊図でまとめた上品な短刀拵であり、特に目貫は金のウットリ色絵の素晴らしいものである。
同刀箱書は三成最古の肖像画で有名な明治期石田三成子孫、津軽杉山家杉山壽之進で昭和初期には遠戚、初代長崎県知事杉山宗次郎旧蔵品。
刀身、刀装共特別保存鑑定書 刀剣美術第401号(合作から見た則光・祐光・忠光についての一私考)刀剣美術第459号(六郎左衛門尉祐光について)

平成21年9月26日 日刀保東京支部第三回研究鑑賞定例会 鑑賞刀
2009/4/12 霜華塾 鑑賞刀 「春霞 みだれ映りし 水鏡」
協力 長浜歴史博物館 杉山家現当主 三成会




 脇差 銘 尾崎源五右衛門助隆 寛政四年二月日

国 : 摂津国 (大阪府)
時代 : 江戸時代後期 寛政四年 1792年 刃長 : 52.6cm(一尺七寸三分五厘) 反り : 1.0cm弱(三分)
元幅 : 3.2cm 元重 : 0.7cm
姿 :平造、庵棟、身幅広く元先の幅差あまりつかずに、重ね尋常。
鍛 :小板目、小杢目肌精良に詰み、地沸厚くつき、冴える。※1
刃文 :大互の目・涛欄乱、足入り、小沸降り積もるようによくつき、刃中澄み明るく冴える。
帽子 :直となり先小丸に返る 。
茎 :生ぶ、化粧筋違い鑢目。目釘穴一。
備考 :新々刀 上々作。
昭和二十六年 栃木県登録

尾崎助隆の本国は播磨で宝暦三年に生まれ。後に大阪に出て貝三原の末裔である同郷の先輩、黒田鷹ェの門人となる。寛政十年に長門守を受領し、
それ以後は尾崎長門守助隆と楷書で銘を切る。刻銘は尾崎源五右衛門助隆、尾崎源五右衛門藤原助隆、尾崎長門守藤原朝臣助隆、など。

水戸の直江助政、大坂の天龍子正隆、作州津山の多田貴勝等、多数の門人を育て大阪新々刀を代表する名工で、特に濤乱刃の名人と評され西の助隆、
また同時期に江戸の水心子正秀を東の正秀と称し賞賛される。その作風はすべて越前守助広に私淑して見事な濤欄刃の出来が多く、
地がねもよく精錬されていて上手である。

この脇指は、豪壮な姿に助隆独特の濤欄刃を焼いた優品である。
文化二年没、五十三才。
有名工にもかかわらず鍛刀地詳細、墓所不明。
特別保存鑑定書 80万円(買取保証付・半年以内状態が同じの場合7割税込)大阪公安委員会 許可証 第3117号