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情報教育序論

情報教育

 7、8年ほど前のことです。高等学校に「情報」という新たな教科が設置され、科目「情報A」、「情報B」、「情報C」のいずれかを必修とすることになりました。
 以前から私は3年生の選択科目として「情報処理」の授業を行ってきました。いよいよ、必修の「情報」ができると思い、期待して、その学習指導要領をみて愕然としました。全くコンピュータの素人が苦労して表面だけを繕って作り上げたとしか思えない意味不明の作文が項目として並んでいます。
 まもなく、教科書会社各社の「情報」の教科書が出来上がってきました。案の定この意味不明の指導要領に基づく教科書を作るのは至難のわざだったのでしょう、指導要領の項目をなどっただけのカラフルな大判のパンフレットのような教科書が殆どです。たぶんこれらの教科書だけを教えたなら、週2単位で1、2ケ月で終わってしまう分量でしょう。
 当然私が高校生必修の「情報」の教科書を作るとしたら、どんなのが理想に近いかを考えざるを得なくなりました。(余談ですが、これら教科書群の中で、1社だけ、この指導要領を無視したとしか思えない教科書がありました。それは私の考えに近いもので驚きました。しかも指導要領と異なり「情報A,B,C」とも殆どよく似た内容です。よく検定を通過したものだと思って見ると、編集者にTRON提唱者として有名な坂村 健氏の名前を見つけて自分なりに納得しました。多分、坂村氏は文科省のこの愚民政策のような学習指導要領に強く反対されて自分の意志を貫かれたものと推察しています。)

コンピュータとは何かを教える情報教育

 私の「情報処理」の授業はこれまでも自分のプリントを使って行ってきましたので、新「情報」でも自分なりのプリントを作ることにしました。まず「情報」という概念のみを強調して「コンピュータ」を極力前面に出さないという指導要領の奇妙なやり方を改めました。「コンピュータ」の出現なしに「情報」が重要視される今の時代が生まれるはずはないからです。
 次にコンピュータを生徒達に理解できるように如何に教えるかが問題です。私が担当していた3年の旧選択科目では文系生徒が対象でしたが、新たな教科「情報」は全員必修の科目で、将来理系に進む生徒達も含んでいます。つまり、以前より若干理系的な内容を含めても大丈夫だ、否むしろ含めるべきだと考えました。
 日本でパソコンが普及し始めたころ、よく使われた標語に「コンピュータは習うより慣れろ」があります。聞くたびに封建時代の「民は頼らしむべし、知らしむべからず。」を連想させるような違和感を常に感じていました。コンピュータは難解で凡人には理解できない代物だと誰が決めたのでしょうか。過去の大型コンピュータの時代ならいざ知らず、誰もが私的に所有できるこの時代にはふさわしくないように思います。事実、コンピュータのしくみや動作の基本の理解は容易だし、可能だと考えています。また私は常々「教育の場にはブラックボックスは相応しくない」、内容のブラックボックス化は思考の放棄につながる教育の生命線にかかわる危険な行為であると自覚している者です。折角、高校で必修科目として「情報」ができたわけですから高校の授業らしく、そのしくみを可能な限り取り扱い、解説すべきでしょう。とはいうものの、限られた授業時間のなかで、基本アプリケーション実習を含めて、それを行うことは至難のわざでもあります。
(1)コンピュータの歴史
 そこで私のとった方法は、最初にコンピュータの概論をコンピュータの歴史に絡めて取り扱おうと云うものです。コンピュータはご存じの通り、ハードとソフトから成り立っています。コンピュータの歴史ではその内のハード面の解説も含めようと考えました。
 次にソフト面の取り扱いですが、ソフトにはプログラムと、扱われるデータという2つの要素に分けられます。本来、その内のプログラムの方が基本なのですが、残念なことに、現在主流のWindowsマシーンでは、昔のように生徒が容易に扱えるBASICのような実習に適したプログラム言語がありません。(以前の「情報処理」の授業で使っていたコンピュータは「MSDOS」マシーンでしたので、BASICを使ったプログラム実習も含めることが可能でした。)また、プログラミングを本格的に教えるとすればそれだけで、「情報」の授業時間の大半を費やすはめにもなり兼ねませんし、現在パソコンを使うのに自分でプログラムを書く必要も殆どありません。そこで思い切って、プログラミング実習をカットしました。(その代わりと云うわけでもありませんが、3学期のホームページの作成実習で使うHTML言語でプログラミングの香りだけを嗅がせることにしました。)
(2)デジタル・データ
 そこで、ソフトとしてコンピュータが扱うデータが残ります。現在我々のコンピュータの利用の仕方をよく考えたとき、最も身近で重要なブラックボックスは何かと云えば実際に扱っているデータそのものであることに気付きます。これが分かれば、あとはこれを処理する機械としてのハードウェアと処理方法手順を実行するプログラムも容易に類推して理解できるようになるでしょう。私がブラックボックスを排除するといってもその意味は、すべてを詳細に勉強し理解することではなく、基本的な部分をしっかり理解させて、残りの部分はその延長線として自分の頭のなかで構成して想像できるようにすることです。
 現在パソコンの使用者の最大の「躓きの石」は、コンピュータ画面に表示されているデータが実際には(目に見えるそのままの形ではなく)別の形式で存在しているのを知らないまま使っていることです。まさにそれを知ることは「情報教育」の要石といえるでしょう。そこで、コンピュータの歴史の後にデジタル・データの学習を持ってくることにしました。内容はデジタルデータとは何かから始めます。当然コンピュータの処理の原子、情報の原子であるビットの説明からはじめて、文字コード、画像データ、音声データのデジタル化まで扱うことにしました。

「情報」授業の半分はHR教室で行う

 コンピュータの歴史からこれらデジタルデータの説明までをプリントを使って、コンピュータ室ではなく、敢えて通常のHR教室で行うことにしました。その理由はコンピュータ室では生徒の前にでっかいディスプレーが並んで、ホワイト・ボードの字が見えにくいだけでなく。コンピュータを前に、生徒がそれを使わずに我慢して授業を大人しく聞くわけがないと考えたからです。しかし予定では1学期間はHR教室で「情報」の授業を行うつもりですから、最初は猫をかぶっているように大人しい1年生でも途中から「実習させて欲しい。コンピュータを触らせて欲しい。」と言い出すに決まっています。そこで、HR教室で実習できるように、ポケコンを使って小型のデジタルデータの実習用装置を自作することにしました。このポケコンは私が物理の生徒実験用に揃えたものです。これに自作のLED発光回路を接続して、ビットと2進数や16進数の関係調べさせたり、7セグメントLED(電卓の8の字表示をさせるもの)で表示の実習をさせたりすることにしました。また、自作のAD変換器を繋ぎ音声データのデジタル取り込みも実習させることにしました。
(3)コンピュター実習
 2学期からは、いよいよコンピュータ室で実習開始です。最初はどの学校でもやられているワープロ実習ですが、私は意地悪く、その前(1学期末)にメモリーダンプ・ソフトを使って文字コードと画像データのデジタルデータを確認させる実習を設定しました。生徒達はやっとコンピュータに触れると期待しても、余り楽しくない実習からのスタートです。私は生徒達の不平たらたらな反応を想像していましたが、意外にそうではありませんでした。それは、すでに小学校、中学校時代から「コンピュータ」の時間があって、コンピュータを触ってお絵描きソフトやその他のソフトで無意味な時間つぶしとしか思えない「情報教育」を経験させられているからです。かえって骨のある実習の方が「高校になって知らないコンピュータの中身をはじめて教えてもらえる」と実感するようです。時代は変わりました。
(4)コンピュターネットワークとインターネット
 2学期後半からはコンピュータネットワークの授業を始めました。単にインターネットに接続させて実習させるのではなく、1学期と同様にHR教室でコンピュータネットワークの基礎から授業します。電話網との比較のために糸電話を使い、1対1通信と糸電話を絡ませて作った多対多のコンピュータネットワークの違いを考えさせます。通信の混線を避けてその中から1対1通信の実現するためにはどんな工夫が必要かを考えさせる方法として、この糸電話デモは最適だと考えています。パケット化の必要性、パケットにアドレスが必要なこと、電話と異なり常に盗聴される可能性があることなどを理解させることが出来ます。つぎにネットワークの同士の接続とインターネット出現の歴史を話します。IPアドレス、DNS、メールシステム、最後にWWWをという具合です。
 最初のコンピュータ室での実習は、メールシステムのしくみですが、コンピュータ室の隣の部屋にLinuxサーバを置いて、そのメールサーバに生徒機のDOS窓上で動かしたtelnetで原始的にアクセスさせます。私はこの実習は非常に教育的だと思っています。インタネットの上位プロトコルは単なるテキストレベルであること、サーバのアクセスにはIPアドレスの他にポート番号が必要なこと、さらに重要なことはメールの送信には送り手の認証が必要ないことです。メールは簡単に送り主のアドレスを偽ることができることを教えることは、メールをすでにやり取りして使っている生徒達へ身近なネットの危険性を教える良い教材だと考えるからです。
(5)WEBとHTML実習
 あとは通常行っているインターネット上でのWeb検索と情報収集実習となります。
3学期からは、HTMLを使ったホームページ作成実習です。これの唯一教育的だと思う点は一種のプログラミングですから、必ず間違いを打ち込んで思った通りの結果が出ないという失敗が起こります。相手がコンピュータですからいくら文句を言っても始まりません。自分は如何にいい加減な人間であるかという自覚はコンピュータを使うことで得られる貴重な経験だと思います。

情報科学の哲学

 この序論の最後に触れておかねばならないことがあります。それは「情報」は立派な「科学」だということです。
 情報教育に携わって、周囲の「情報教育」を見る目や、実際に「情報」を教えている教師自身すら、口には出さないものの『情報教育は今の時代に大事だとは思うが、所詮、応用技術教育に過ぎないのでは』という「情報教育」に対する「誤った認識」があるように思います。
 たぶんこの文を読まれている方もそうだと思います。私自身、専門は「物理」ですが、以下に述べるような「哲学」を弄して、「自然科学」と同じ「科学」だ主張する者です。
 まずコンピュータは人間が発明し、人工的に作られたものである。それに対して自然科学は「自然そのもの」を対象に研究している「純粋科学」であるという自負は、自然を人間の手の届かない「神様の作品」であって特別のものであるとの意識が無意識に働いているように思います。
 私は人間の「発明」とは、「そのように作るとうまく行く」ということを人間が「発見した」に過ぎないと考えています。その「発明」の過程が「ひらめき」の所産であれ、「試行錯誤の努力の結晶」であれ、「うまく行く」かどうかは「やってみないと分からない」のです。私自身も色々なものを作った経験がありますが、自分の考えた設計通りに作っても大抵うまく動きません。試行錯誤の結果「うまく動く」と、ふしぎな感動を覚えます。つまり、「こうすればうまく動く」ということを「発見した」喜びです。
 どうも、自然にはそういう「うまくいく道」が備わっているように思えてなりません。
コンピュータも「ノイマン型」が発展して現在に至っています。その他の「並列型」や「ネットワーク型」や「人工知能」等が模索されていますが、「ノイマン型」を越えるには至っていません。プログラミングでも、「構造化プログラミング」やその発展形の「オブジェクト指向」という風にあたかもその道が予定されていたかのような進化を続けています。
 ふしぎですが「何かうまくいく道」があるようです。
 よく考えれば、「自然」もそうです。「生物学」は生命体を扱う正真正銘の「自然科学」と見なされていますが、これも進化の結果生まれたものです。
 何億年も前に遡れば、生物自体が存在していなかったわけで、「自然の試行錯誤」の結果生まれたものであるというのが現在の定説です。つまり、こんな精巧な「うまく行く道」が用意されていたのです。考えればふしぎなものです。
 私自身は本質的に人工的なものと自然が作ったものに差はなく、ただ時間的尺度が大きく異なるだけの違いだと考えています。(勿論人間も「自然」の一部です。)もし、両者が全く異なるものであると考えている人がいれば狭い「自然」把握の人だと思います。(ただし、私は人工的なものが則「自然なもの」だとは考えてはいません。「自然なもの」であるかどうかは歴史が証明する事項だと思います。)
 私たちは、ダイナミックに進化を続けている不思議な世界に生きているのだと思います。
 こういう見地に立てば、人間の「発見した」コンピュータやその情報技術は「科学」の対象だと考えられるでしょう。私はこの(詭弁?)哲学的観点から「情報科学」も「自然科学」と同じ「科学」だとし、コンピュータを授業で「堂々と」教えています。
 上の観点はコンピュータに限らず「技術一般」に通じる「哲学」でもあります。
 私が授業を「コンピュータの歴史」から始めるのも、同じ観点からです。


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