トップ物理教育情報教育GPS考古学

GPS考古学序論




筋違道の謎を解く


第0章 序論

第1章 筋違道入門

 若草伽藍の礎石の話   

第2章 筋違道のなぞ

   

第3章 GPSデータの解析

   

第4章 安堵町以北の解明

   

第5章 安堵道と三宅道の接続の解明

   

第6章 多以南の道の解明




New!   

第7章 上宮への道(磐余道)

   

第8章 斑鳩宮への道


太子道(筋違道・すじかいみち・日本最古の官道)の謎を解く−−−筋違道の研究




 第4章  安堵道以北、高安、岡本の宮への道の考察

1.安堵道と斑鳩の南横大路とは正確に直交していた。


 第2章で述べたように、高安まで安堵道が延びていたことは確実ですが、高安に残る斜向道の跡は安堵道の延長線から少し西へずれた場所にあります。 このことから、安堵道がJR線を越えたあたりから、少し向きを変えたか、あるいは安堵道が短いため、道の斜向角の測定精度に問題がある可能性が考えられます。 どれ位第3章の結果が正しいのか、判断材料の一つとして、私は高安の隣の斑鳩町にある、古い真っすぐな道(私は南横大路と名付けることにしました。) の斜向度を調べてみることにしました。



 この道は地図上でも、実際に歩いても遠くまで見通せる直線路であることが分かりますが、どうもこの道と安堵道が角度で90°異なっているように思えます。 もしそうであれば、太子の時代の都市計画道路であり、この道の傾きを調べることで、逆に安堵道の角度の確かさも検証できると考えたのです。
 この道は新業平橋を少し西に下った上宮遺跡公園の北、北に調子丸塚が望める辺りから西へ直線的に延びています。斑鳩東小学校前を通り、 途中から一部畑地の中の細い道となります。

斑鳩東小学校前の道路。 遠くまで見通せる直線路である。(東から西を撮影)

途中の50mほどが畑地を通る細い道となる。 やはり遠くまで見通せる。昔はずーと、こんな道が続いていたそうです。(西から東を撮影。遠くにマンションが見える。)



 そこで畑を耕す地元の方に伺うと、この道は古くからの道で、昔はこの場所のように田圃中を通るで細い道で、道端の水路から4尺ほどしかなかったそうです。 それが今のように広げられ舗装されたのだそうです。ときどき、間違って向こうの広い道からこの田圃中の道に入ってきて脱輪する車も多いとのことです。
 その直線路は西にある新池の側までほぼ6〜700m辿れます。そこから少しカーブして法隆寺門前の松波商店街、そしていわゆる竜田道につながります。
 池までの直線性が良いので、直線部分の斜向角は東西両端2点の緯度経度を正確に測定するだけで済みます。ただし2点間の距離が長ければ長いほど角度の精度が上がります。 私のGPSの精度と直線部の距離から、角度の精度は約0.5°ほどになります。

望遠法で精度を上げる

 しかし、上述の理由から出来るだけ正確に道の斜向角を測定したいので、 この直線路の見通しの良さを利用することにしました。
 幸い、この直線道の先に約2km離れたマンションが見通せました。カメラの望遠でマンションのどの窓の部分が直線路の見通しの先にあるのかを調べ、 その窓の下まで行きGPS測定を行ったわけです。

直線部分の西端から東を撮影。遠くに、 高安の集落よりさらに約1km東にあるマンションが見える。道路の延長線中央がマンションのどの位置に来るか調べ、 その真下の位置をGPSで測定することで道の傾き角の計測精度を高めた。



 2点間の距離が3倍ほど長くなったため、角度の測定精度を約0.15°程度まで向上させることが出来ました。 結果、道は真東から北へ約21.21°振った向きであることが判明しました。これは、前述の安堵道の測定結果である斜向度が真北から西へ約21.26°振った向き、 と誤差の範囲でぴったり一致するではありませんか!
 つまり、安堵道と南横大路は正確に90°を成すように造られた計画道路だったのです。


2. 安堵道と岡本宮への道(岡本道)は別の道であった。


 この結果、第3章の安堵道の計算角度は信頼できることが確認できました。また、安堵道は真っ直ぐ直線的に高安まで延びていたと考えるべきです。(なぜなら、曲がっていると南横大路と直交しなくなるからです。) そうすると、高安に残る斜向道痕跡と、安堵道の延長線の高安到達点とは、東西にずれることになります。結局、安堵道の高安への到達点が、 高安に残る斜向道の痕跡とは約50m程度横にずれ、異なることが明確となりました。
 高安に残る斜向道の痕跡は以北へ伸びていたように見えますので、これが岡本宮までへの道(私は岡本道と呼ぶ)への出発点であったと思われます。 結局、安堵道とは異なった別の道として造られた可能性が高いのです。
 多分、安堵道から来られた太子は高安から今述べた南横大路を通り (この道のそばに愛妻の住まう葦垣宮がある)、斑鳩宮へ通われたと想像されます。岡本まで行ったのでは斑鳩から遠ざかってしまいます。 岡本道は鉄道で云えば支線のようなものだったのかも知れません。





3.岡本道の測量原点は法起寺南門ではなく、岡本の里の菅原神社にあった。


 それでは、岡本宮への道はどのようなものだったのでしょうか。岡本の里は北の背後には丘陵が迫り(今は一部がゴルフ場となっている)、その南に盆地の平野が広がる地形です。
 私は当然この平野を見通せる背後の高所から眺めて、道の造築を開始したものと想像いたします。
 例えば時代は少し下がりますが、盆地を正南北に走る「中つ道」は南へ延長すると丁度香久山の頂上にぶつかります。何も「中つ道」の目的地が香久山だったと云う訳では当然ありません。香久山の頂上から見通して道を造り始めたからだと想像すべきでしょう。
 そこで私は最初、この岡本の背後の小高い丘に太子道はぶつかるものと考えて(当時、安堵道をそのまま延長した太子道を想像していました)、GPSをもって岡本の里の背後の到達点を調べたのですが、到達点は高台ではなく、比較的平坦な柿畑となってしまいます。
 (蛇足ですが、国土地理院の2万5千分の1の地形図に載っている神社の位置がこの辺りだったので神社を探した訳ですが、在りませんでした。神社はもう少し西にあることが分かりました。地図の訂正が必要ですね。)
 しかし、この西にある地元の菅原神社が奇妙に高くなっているのに気付きました。この場所だけ、盛り土をしたように高くなっているのです。

   菅原神社(南から撮影)

神社の鳥居を横から眺めたもの、不自然に神社が高くなっている。 (東から撮影)



 菅原神社と云う名から後世の神社のように思えますが、「斑鳩町史」によれば、同じ神域の向かって左手に小さな祠の岡本神社があり、 天照皇太神を祭るこの地の元々の鎮守であったとある。
 神社の近くの柿木畑を持たれているお宅にお邪魔し、90才を越える古老の話しを伺ったのですが、神社の土盛についてお尋ねすると、「昔からそうなってましたが、確かに、あそこは盛り土をしていますな。 神社だけでなくその後ろの神域の森もそうですな。あそこの神社から見た夜景はそれはきれいですよ。」と言われ、その他興味ある話も伺いました。

神社から南を見る。神社は鳥居より一段高い場所にある。 南に法起寺の三重の搭が見下ろせる。

南南東の方角には、 太子道沿いにある安堵町幼稚園の赤い三角屋根がよく見える。古い岡本の集落は神社の西側にあるので、昔は南には遮る人家も無かった。



 これらの事から、どうも菅原神社から見通して太子道が造られたらしいと思ったのですが、当時安堵道の単純な延長しか考えて居なかったので、ずれがあり悩んでいました。
 ところが、岡本道の高安での出発点が西にずれている事に気付き再計算すると、何と高安−菅原神社間の道の傾きが約21.29°となり誤差の範囲で安堵道の角度21.26°とぴたり一致します。(もし仮に、奈文研の云うように、高安から南門へ向かうなら西偏角は24.76°となり、かなり角度が大きくなります。)
 この事から、岡本道の測量原点が菅原神社にあったと考えた方が良さそうです。これを、国立奈良文化財研究所の発掘地図に書き入れると以下のようになります。

       

 道は法起寺の東側を通ることになります。どうも、図のSD06とSD07の曲がった道の跡が宮への出入り口だったように思われるのです。

実地の検証

 本当に正しいのか検証のため、法起寺の南の広い田圃を調べて見てさらに驚きがありました。写真のように、途中に広い「升池」と呼ばれる溜池があり、 丁度岡本道を邪魔している様に見えます。どうせ後世に造られた池なので、しょうがないかなと思いながら測定すると、何と池の北東角をかすめるように道は進み、 池にはぶつかりません。しかもこの池の北東堤の角が明らか斜めに削られ、その南にも角度は異なりますが斜めの畝が残っているではありませんか。

   法起寺の南に升池がある。

ちょうど推定岡本道は池の東北角をかすめるように進み、池にぶつからない。 しかも、池の堤が斜めに削られたようになっている。



 もし、文化財研究所の説が正しいなら、池のど真ん中を道が通っていたことになり、道の傾きに加えてその説に不利な材料となりましょう。

        

 以上、高安以北の筋違道の謎が一応解決できたと考えています。ただ斑鳩宮への道がどうであったのか、これについてのヒントは第7章で紹介したいと思っています。


この章のまとめ


 ・斑鳩町にある新業平橋から西南西に向かう直線路(南横大路)と安堵町の筋違道(安堵道)は正確に直交する計画道路である。(発見)

 ・安堵道と高安から岡本へ向う道(岡本道)は横にずれた別の道である(新説)。

 ・岡本道の測量原点は岡本の菅原神社にあった。(新説)

 ・上記の根拠は
  (1)菅原神社は地元の古老の証言のように、明らかに人工的にかなり高く土を盛った場所に建てられている。
  (2)推定される道の途中の田圃中にある池の東北角が削られており、丁度そこを岡本道が通ることになる。
  (3)菅原神社と高安の斜向道痕跡を結ぶ線の傾きが安堵道の傾きと誤差の範囲で一致する。

 ・岡本道は法起寺の南門を通らず、岡本宮の東側に達し、宮へは東側から出入りした。(推定)。

 ・岡本道と安堵道は平行、則ち南横大路に正確に直交する(発見)。


               このページの先頭へ
                  第5章へ