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 初期巨大古墳の方位の規則性と王位継承仮説

 

はじめに

  奈良県の桜井市と天理市には有名な初期巨大古墳群があります。それらの向きや配置は一見したところ、規則性のない乱雑な向きをとっているように見えます。 専門家によれば、大部分の古墳は自然の地形を利用して元の尾根や丘を削って作ったために規則性のない向きを向いているのだと云う。 しかし巨大な古墳を作る事業は、多大な人手と労力を要する古代の大プロジェクトだったはずで、緻密な計画と設計に基づいたある意図のもとでなされたはずです。 にもかかわらずそれらが必ずしも正南北や東西を向かず不規則な向きに向いているのは、私にはどう考えても納得のいかないことでした。
 しかしそれは古墳を軸方向にたどって見るからで、見方を変えて配置と方位をよく見ると、ある規則性に気付きます。 前方後円墳の軸方向ではなくその真横(軸に90°)の方向へ辿ると別の巨大古墳にぶつかるように見えます。
 具体的には、崇神天皇陵と云われる行燈山古墳の真横方向をたどると箸墓古墳があり、箸墓古墳の真横延長線をたどれば桜井茶臼山古墳にぶつかるように見えます。 また景行天皇陵と云われる渋谷向山古墳の横には行燈山古墳が見えます。(図1)
 これらの関係を正確に調べてみたくなったが、手に入る地形図上で確かめようとしても広域地図では縮尺が粗く正確なことは云えそうにありません。 航空写真を手に入れることも出来るが、広域写真では縁にゆがみが生じるため信頼できません。 また各古墳毎の測量図は資料で調べることが出来ても、それら古墳間の位置関係は載ってはいません。
 そこで私はGPSを使って、自分の足で古墳の緯度経度を計測し、実測図と比較することで、各古墳の軸の向きとその絶対位置を出来る限り正確に割り出すことにしました。 近年のハンディGPSは精度がよく、条件が良ければ、緯度経度とも最大精度1/10秒(約3m)で測定できます。
 それに基づき測定・分析した結果、以下で述べるように、行燈山、箸墓、茶臼山古墳間に著しい方位の相関関係があることが分かりました。
 これは、従来の発掘遺物や文献研究からは得られなかった新たな知見だと思っています。
 私はこの結果から従来の説とは異なり、茶臼山古墳が最も古く、次に箸墓古墳、その後に行燈山古墳の順に造られたとの王位継承仮説を考えるに至りました。

1.計測方法と計測データ

(1)GPSと測定法
   GPSは米国GARMIN社製のeTrexHを用いました。(図2)
周囲に障害物が無く上方が開けていれば、GPS衛星を多数捉えることが出来るので、最良の場合、精度約1/10秒で測定できます。方法は測量図上で目印となる地点を選び、 GPSのマーク(記録)機能でポイントに名前を付けて記憶し、後で呼び出して図上のポイントに緯度経度を記入し分析を行いました。
(2)調査古墳
 調べた古墳は、箸墓古墳、行燈山古墳、桜井茶臼山古墳、渋谷向山古墳、および奈良市の宝来山古墳(伝・垂仁天皇陵)の5ケ所です。またこれらの古墳実測図として、 大和前方後円墳集成(県立橿原考古学研究所編)記載の図を利用しました。ただし、茶臼山古墳だけは掲載の図が古く測量精度も悪いため、 代わりに橿原考古学研究所の茶臼山古墳の調査報告書の図を利用させていただきました。
(3)実測データ
 以上5つの古墳の周辺ポイントの緯度経度の実測結果を以下に示します。(図3〜図7)ただし図中の(、)内の数値は(緯度、経度)の秒単位の部分です。 これらに基づいて図中には推定緯度線および経度線も記入しました。
  


  


2.データの解析の方法

(1)緯度補正
 地球は球体(回転楕円体)であるため、緯度によって、緯度や経度の1°の長さが異なる。我々の分析では実際それぞれの1"(1秒)の長さが問題となります。 理化年表によれば、経度1"の長さlx (m)は

で与えられる。ただし a は赤道半径、φ は緯度、e は離心率です。
この値は該当の古墳緯度では表1のように計算される。
表1
古墳名 緯度 x
箸墓古墳 N34.54° 25.499
行燈山古墳 N34.56° 25.494
茶臼山古墳 N34.51° 25.508
渋谷向山古墳 N34.55° 25.496
宝来山古墳 N34.68° 25.456

 これらの値 lx は殆ど差はないので同一値としてみなしても問題はないのですが、測定誤差以外の誤差の影響をできるだけ排除したいので、 これらの値を計算の際に利用することにしました。
また緯度1"の長さ ly (m)は
            
で与えられるが、今回調べた北緯34.5°付近ではすべて有効数字5桁の精度で ly =30.814mとみなして差し支えありません。
(2)分析精度と作図の問題
 GPSの位置誤差が仮に0.1"(約3m)程度であったとしても、墳長300mの古墳ではそれだけの要因で角度にして1%(約0.5°)の誤差が生じます。 これは数km離れた古墳間では数10mのずれに相当します。 さらに墳丘軸の方位を地形図上で作図して,物差し(0.5mm以下は読み取り不可能)と分度器を用いて求めることは、より大きな誤差を生む原因となるので無理だと気付きました。
 そこで、先ず得られたデータ(多数)から経線を推測して地形図上に経線緯線を引き、 その図をスキャナーで読ませてコンピュータ画面上で経線が正南北(画面の上下方向)に向くように回転させて、 経度緯度と画面のピクセル座標との関係を推測しました。この際(1)で述べた経度:緯度の長さの比 lx/ly を用いた。
 この変換により読み取り誤差や作図誤差は殆ど無視できるようになりました。 さらに、GPS実測点以外の図の任意点の経度緯度の値がピクセル座標を元に統一的に割り出せるようになって、 以降の作業が格段に楽になりました。
(3)古墳間の相関の調べ方
 私は最初、古墳Aの真横(すなわち墳丘軸に垂直の向き)に古墳Bが存在すると考えてAの墳頂とBの墳頂を結ぶ線がAの墳丘軸に対して90°になるかを調べてみましたが、 残念ながら90°から大きくずれます。
 試行錯誤の結果、Aの後円部の先端の真横の位置にBの前方部が来るのではないか(つまりAをBの位置まで軸に直角の向きに平行移動させると BとAが一種の接合・ 連結するのでは)と思い至りました。
 上述の理由で定規と分度器を用いると測定誤差以上に作図誤差が加わるため、数学的に平面座標上の2直線の交点を求める方法を採用することにしました。 つまり古墳Aの軸上の1点(X1,Y1) (今の場合後円部の先端点)から軸に垂直な直線Cを引いて、それが古墳Bの軸を表す直線との交わる交点を数値的に求めることにしたわけです。(図8)
 こうすることで、図上での作図の過程で生じるかもしれない恣意的な(あるいは無意識の)作為も排除できる利点があると考えました。
 これは、緯度、経度で1"の距離が異なるため直交座標軸(X,Y)の尺度が等しくない点を除けば、初等解析幾何の問題です。 この方法の解法と交点(X,Y)を与える解の式は[付記1]を参照していただきたい。
 これをはじめに述べた古墳対について当てはめると、以下に詳述するように行燈山古墳−箸墓古墳間、箸墓古墳−桜井茶臼山古墳間では 驚くべき相関があることが分かったのです。

3.向きの規則性

(1)行燈山古墳−箸墓古墳
 行燈山古墳の後円部の先端を(X1,Y1)に選ぶことにする。そこで測量図(図4)をよく見ると、 後円部が水位の異なる2つの堀に取り囲まれているのに気付く。
 元々2つの堀が同じものだったとすれば後円部最低位の等高線を延長した、すなわち墳頂を中心とする同心円上の位置であるA1付近に 先端がくることが分かります。
 ピクセル座標から割り出したA1は(X1,Y1)=( E135°51'2.27", N34°33'25.11")です。 軸上の別の1点にA2 (50'48.13",33'31.11" )をとる。 図3のH1(E135°50'31.37", N34°32'22.21"),
2(50'20.55",32'18.36")を結んで得られる箸墓の軸との交点Hxを求めると (位置座標を秒単位に直して計算し、結果を分秒単位に戻すと)、
Hx=(E135°50'21.00", N34°32'18.52")
を得た。(図9) ただし[付記1]の経度緯度比r の値として表1の行燈山と箸墓の平均値を採用した。 この交点H図3中に示しましたのでよく見ていただきたい。 前方部では元の周壕は完全に埋まっていることを考えるとこの点は箸墓前方部の推定先端にほぼ一致する位置になります。 元のGPSの精度からもっと大きくずれてもしかたがないと考えていた私の予想を越える一致でした。
(2)箸墓古墳−桜井茶臼山古墳
  つぎに、同様の方法で箸墓古墳の後円部先端から軸に垂直な直線と桜井茶臼山古墳の軸との交点を求めてみました。(図10)
 箸墓古墳の場合、古墳周辺の地形に高度差が少なく、元の周壕の水位も現在の周壕のなごりの池と大差なかったと仮定すると、 後円部先端点は図3の点H付近だと推定されます。
 この点を通り軸H1-H2に垂直な線と茶臼山古墳の軸との交点Txを求めると (E135°51'25.50", N34°30'38.00")と計算される。 この交点Tx図5中にプロットしていますのでよく見ていただきたい、 箸墓古墳の場合とそっくりの茶臼山古墳前方部の推定先端付近に来るではありませんか。
 これは(1)の行燈山−箸墓間の結果と酷似した相関関係(接合・連結関係)を示す驚くべき結果と言わざるを得ません。 箸墓−茶臼山間は直線距離で約3.5kmも離れており、遮る建物のない昔でも見通すのがやっとの距離であり、私のGPSの精度もそれ程には良くない。 はたして偶然なのだろうか。
 この結果がこの通り正確であると主張することはできません。しかし、逆に言えば、もし無作為に古墳を築造したとするならば、 このような一致が見られる確率は極めて小さいことだけは言えるでしょう。
 しかも、ほぼ近い時期に築造されたと思われる2対の古墳間の相関であること考えれば、 私の得た結果は同じ相関関係をもつ規則性(築造の際の意図)が存在することを強く示唆しているのではないだろうか。
(3)渋谷向山古墳−行燈山古墳

 これらの古墳は隣接しているので、
地図上で見ても(1)(2)と異なる結果が予想される。
渋谷向山古墳の墳丘軸に垂直に平行移動して重ねた結果を図示したのが図11です。
2つの古墳の墳丘部が重なりあう結果が得られ。
上述の規則性はみられなかった。


(4)渋谷向山古墳−宝来山古墳
 記紀では渋谷向山古墳は景行天皇陵に比定されているので、その前の垂仁天皇陵に比定されている宝来山古墳との関係を調べてみたのが、図12である。 互いの方位には関連性が全くみられないことが分かる。

4.王位継承仮説

 以上の分析から初期巨大前方後円墳の中で行燈山古墳→箸墓古墳→桜井茶臼山古墳の間に顕著な方位相関関係(接合・連結関係)が存在することが分かった。 しかも、この関係は1次元的な順序だった向きをもつ関係で、この順序は古墳が作られた時間的順序に関連すると考えるのが自然でしょう。 (いずれも大王墓の規模をもつので同時代の主従関係の序列とは考えられない。)古墳の築造を考えると、時間的順は始めに茶臼山古墳が造られ、 次にその方向を向いた箸墓古墳が、次に箸墓古墳を向いた行燈山古墳が造られたと考えざるを得ません。(その逆順の可能性は極めて低いといえよう。) このことは3つの古墳のなかで唯一茶臼山古墳が正南北を向いており、最初の王である蓋然性が最も高いことからも首肯されます。 またいずれも大王墳の規模をもつことを考えると、王位継承を示す(あるいはそれを知らしめるための)ものと考えられます。
 以上の仮説が正しく、またこの前後関係をもつ古墳が「前方後円墳」の起源であるとするなら、円墳部がむしろ前で 方墳部(たとえ祭祀の場として使われていたとしても)が後ろと考える方が自然な様に思われます。 つまりこの独特の墳形は人間の頭をイメージする円墳と胴体をイメージする方墳から成り立っているのではないだろうか。
 また、最初の仮説が正しいとすると最大の疑問は、なぜこの方位の規則性が3代で途絶えたのかという点です。 (私が地図上で見る限り、これら以外の大和、河内の古墳群で同様の規則性は見いだせていない。)強いて推測するなら、初期の3代で最初の王朝が絶えて、 次の(最大規模の渋谷向山古墳に葬られた)大王はその王朝の伝統を壊して乗り越えることを意図したのかも知れない。 実際こう私が推測するのは、渋谷向山古墳の被葬者は地元では、12代の景行天皇ではなく、ハツクニシラススメラミコトである10代の崇神天皇であると 言い伝えられているからである。 つまり茶臼山、箸墓の被葬者はいずれも天皇ではないことから、この非天皇系の初期3代(プレ三輪王朝)との継承を意図的に断つ必要があったのではないだろうか。
 このように、方位の規則性だけからでも、今まで曖昧であった事項に関して大胆な推測が可能になるのは驚きです。  また独特の継承を示す配列は後世の大嘗祭の正殿の遺構に見られるものと共通点があるかも知れません。(付記2参照)

おわりに

 考古学には全く素人の私が誤差のあるGPSを使って得た方位の規則性は、より精度のよい実測があって初めて立証されるものと思います。 さらにそれを基に敷衍した仮説はその規則性が立証されてもまだ仮説に留まるものですが、より正確な調査研究のきっかけになればと思います。


[付記1] 図8の不等座標系での交点の求め方

仮に座標の尺度の異なる直交座標系を不等系、尺度の等しい直交座標系を等系と呼ぶと
不等系での傾きは、等系での傾きに対応する。
等系で見てそれに直交する傾きはだから、
対応する不等系での傾きはとなる。  とおくと
図8の直線Cの式は     ・・・@

これと直線Bの式      ・・・A

@、Aを連立させて解くと、解 ( x , y ) が得られる。






[付記2]

 平城宮中央区朝堂院、東区朝堂院の朝庭の発掘調査により、
大嘗祭の遺構が発見されたが、5代の天皇の悠紀正殿が前回の正殿と重ならないように 桁行長と同じ40尺ずつ南にずらして設けられたと推定されている。
それぞれの正殿跡と天皇との比定については岩永省三氏が考察されている。

(http://www.scs.kyushu-u.ac.jp/coe/seminar/01seminar/0660125.htm)
            右の写真は岡田荘司著「大嘗の祭り」より

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