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慣性力はみかけの力ではない。(慣性力続編)


はじめに

 通常慣性力の説明では(通常の説明は「慣性力について(標準的説明)」に紹介していますので、それを読んだ後にこのページを訪れてください。) 慣性力は「加速度系」で現れるもので、「慣性系」では現れない、あるいは現れては困るので「見かけの力」とされています。
 なぜ現れては困るかと言えば、もし慣性力が「慣性系」でも存在するとすれば、慣性力 f ’ = −ma 
と物体を加速度  で加速している外力 f = ma とが必ずつり合って、物体を加速することが出来なくなる(等速あるいは静止)という矛盾が生じるからです。
 もちろん、ニュートンの力学体系を力のつり合いに還元した「ダランベールの原理」がありますが、ここではそれに触れないことにしよう。 (ダランベールの原理については、 別ページ”慣性力についての対話の後半部”を参照。)
 上述の理由でニュートン力学の体系(慣性系)では慣性力を考えず、力をそれ以外の「外力」に限って議論していることになっています。
 しかし「慣性力を排除した体系は不可能である。実際にはニュートン力学の体系(慣性系)も慣性力を使っている。慣性力を継子扱いに出来ない。」ということをこのページで示そうと思います。

 まず誤解から、

誤解

 『相対性理論では、座標変換するとベクトル成分も変換するのだから、力も相対的であり、慣性系から加速度系に座標変換すると、ベクトル量である力も変換する。この結果「慣性力」が生まれる。』 ← 誤解

 幾何学的ベクトルの変換は相対的な速度ベクトルや加速度ベクトルの変換とは別である。
 例えば、地面に大きな北向き矢印が描かれていると仮定しよう。これを上空を東向きに飛ぶ飛行機から眺めても、決して相対速度の場合のように、矢印が北から西へ振った向きに変わって見えるわけではない。飛行機から見て、(たとえ、飛行機が加速運動していても)依然として地面の矢印は北を向いたままである。
 物理的な力の場合でも、例えば電気力は、相対論的効果が無視できる場合は運動している観測者によって向きや大きさはほとんど変わらない。(ただし、実際には4次元2階テンソルとして変換するので、新たに磁界が生じるという現象が起こる。)
 人間の出した力の向きや大きさも観測者の運動によって変わるとは思えない。
 どのように力が変わるかは、それぞれの力の正体によって異なるのであって、物理の範疇であり、単純な数学的ベクトルの変換の問題ではない。

   数学的ベクトルの座標変換では慣性力のような力は現れない。

慣性抗力

 今物体があって、手で物体を押して加速させたとすると、(右の図)手には必ず押した力の手ごたえ(反作用)が返ってくる。この力の正体は何でしょうか。
 加速する物体には加速度と逆向きに慣性力が発生しその力が伝わって手に届いたと考えるのが自然です。ちょうど、重力中で物体を手のひらに乗せたとき、物体にかかる重力が、手に伝わって物体の重みとして感覚されるのと同じです。この力は現実の力です。
 もし「こんな力なんて存在しません。」と主張するなら、あきれた嘘つきでしょう。しかし、慣性力を無視しようと思えば、嘘をつき続けなければなりません。
 そこで通常、この力を「慣性抗力」(「慣性抵抗」とも云うが、流体の抵抗と紛らわしいので、ここではそう呼ぶことにする。)と名付けて、ニュートン力学では「便宜上」この力を「考えないことにする」と「約束している」のです。つまり外力である手の力のみ考えなさいと。慣性抗力は「単なるその反作用に過ぎない」と。
 話がそれで済めばよいのですが、しかしそうはいきません。

2物体の衝突

 教師が運動量保存則を説明する際必ず描く図があります。
直線上を2物体A、Bが運動していて衝突したときの図が右図です。
力 A→B は物体Aが衝突の際物体Bを押す力です。(つまりBが受ける力です。)
力 B→A は逆に衝突の際、BがAを押し返す力(つまりAが受ける力)です。
これらはいずれもBおよびAに運動の変化を生じさせる力、すなわちBおよびAに対する「外力」です。これらはニュートン力学の(みかけの力ではない)正統な力です。
 しかし、良く考えてみて下さい。力 B→A は先に述べたBの「慣性抗力」ではありませんか?つまりAによって押されてBが加速されるときに発生する逆向きの慣性力がその発生源ではないでしょうか。
 また、 A→B もAがBに衝突してAが減速するとき(進行方向と逆向きの加速度を生じるときに)、加速度と逆向きに生じる慣性力がその源でしょう。(丁度急ブレーキをかけたときに前向きに生じる慣性力と同じ慣性力です。)
 このように、外力と慣性力は区別が出来ないのです。堂々と「慣性力」が「外力」の仲間入りをしています。

運動エネルギーの説明

               
 もう一つ例を挙げましょう。これも授業で運動エネルギーが 1/2mv2 であるのを示すのに「速度  で運動している質量  の物体が止まるときにする仕事量が 1/2mv2 である。」ことを証明する際に使うのが上図です。
 このとき物体Aが障害物Bに働きかける力(障害物に対して仕事をする力)が  ですね。この力は何でしょう。
 これも先ほどの A→B と同じ慣性力です。この力は障害物に対する「外力」として扱っています。つまりAが他の物体に与える「外力」です。
 上例の  を使うとき、もし生徒からこの力は何ですか?と尋ねられたらどう答えようか心配しているのですが、長年教えていてそんな質問を受けたことは一度もありません。
 「慣性力は実在」していて、生徒もその存在に何ら疑いを感じていないからでしょう。


             

            キャッチャーの受ける力は何ですか? 「みかけの力」 ですか?

ニュートン力学での「慣性力」の扱い方

  いくら「慣性力」は「みかけの力」だと強弁しようにも、こうも反証をあげられるとどうしようもありません。
 通常この矛盾をどう処理しているかといえば、

 運動方程式の主人公になる物体自身の運動に由来する慣性力は「ただの慣性」だとして無視し、 相手の運動に由来する慣性力は「外力」として評価するという身勝手なことをしています。  つまり、ニュートン力学はある意味「個人主義」的理論 (=1体問題を扱う理論) なのです。

物理教育では教師は、同じことを生徒にこう教えます。

「 @まず注目物体を決めなさい。
  Aつぎにその物体が”他から受ける力”を見つけなさい。決してその物体が”出す力”ではありません。
  B複数の力を受けているなら、それらの合力を求めて、外力 F として
  C運動方程式 F = ma を立てるのですよ。
」 と。

 それでは、この身勝手さを無くし、真の力学をどう構築すればよいのでしょう。どうもダランベールの原理の方に軍配を上げざる得ないようです。しかしこれには因果関係が曖昧になるという弱点がありますが、より基礎的な原理の特徴かも知れません。

 また慣性力はエネルギーや運動量の移動と密接に関係しています。このことについては私の別ページで詳しく述べたいと思います。

ニュートンと慣性力

 ここでニュートンさんの名誉回復をしなければなりません。先ほどから、「ニュートン力学」という言葉を使って、あたかもニュートン自身がそう主張したかのように書いてきました。事実は異なります。
 「ニュートン力学」はニュートンの死後、大学で「力学」が教えられるようになってから、数学的に整理体系づけられて成立したものでしょう。(このあたりの科学史にはあまり詳しくありません。)
 ニュートンの有名な「プリンキピア」の冒頭に定義集がありますが、これを見て驚きました。ちゃんと慣性力やインペートゥスが登場してその説明がされています。
 少なくとも、ニュートンのプリンキピアの冒頭の定義集においては、後世の体系化された「力学」ではなく曖昧な書き方がされています。ニュートンは上に述べた事柄に十分気付いていて後世の「割り切りった」立場を取りきれなかったのだろうと思われます。
 以下にプリンキピア冒頭の定義集の抜粋を引用します。(河辺六男訳、世界の名著「ニュートン」より)


定義

 定義T 物質量とは、物質の密度と大きさ(体積)とをかけて得られる、物質の測度である。
 ・・・・・・・

 定義U 運動量とは、速度と物質量とをかけて得られる、運動の測度である。
 ・・・・・・・

 定義V  物質の固有力とは、各物体が.現にその状態にあるかぎり、静止していようと、直線上を一様に動いていようと、その状態を続けようとあらがう内在的能力である。

  この力は常にその物体(の物質量)に比例し、質量の慣性(不活動性)となんらちがうところはない。言い表わし方がちがうだけである。
 物体がすべてその静止の状態、あるいは運動の状態からたやすく移されることがないのは、この物質の慣性によるものであろう。
 このことから固有力は、いちばんよく内容を表わす名前として、慣性力と呼ぶことができよう。
 しかし物体は、それに加えられた他の力が物体の状態を変えようとする場合にだけ、この(固有)力を働かせるにすぎない。
 またこの力の働きは抵抗ともインペートゥスともみることができる。
物体がその現在の状態を保つため、加えられた力にあらがうかぎりにおいては、これは抵抗である。
 一方物体が障害物の抵抗力に容易には屈せず、その障害物の状態を変えようとする点では、それはインペートゥスである。
 人は普通、静止している物体については抵抗力とみなし、運動している物体においてはインペートゥスとしている。しかし運動しているか静止しているかは、通常考えられているように、相対的に区別されるにすぎず、一般に静止しているように見られているものが、かならずしも真に静止しているとは限らない。

定義W 外力とは、物質の状態を、静止していようと、直線上を一様に動いていようと、変えるために、物体に及ぼされる作用である。

 この力は作用の内にだけあって、作用が終わればもう物体中には残っていない。なぜなら、物体はあらゆる新しい状態をその固有力だけによって維持するものだからである。そして外力は、打撃からとか、圧力からとか、向心力からとか、さまざまな原因による。



・・・・・

(河辺六男訳、「自然哲学の数学的原理」より)

 固有力としての慣性力が明確に述べられています。 (下線は筆者による)

 西洋中世のインペートゥス説については私の別ページに紹介した Halloun & Hestenesの「運動についての常識概念」の前半に解説されています。
 ニュートンはインペートゥス説も完全には否定していないように読めます。

遠心力と向心力

 なぜ、高校の物理で「慣性力」の話題が登場するかと言えば、等速円運動の説明で「遠心力」のことを話さねばならないからです。
 円運動の説明を「向心力」だけで終えようとすると、生徒達は必ず不満げに「向心力なんて初めて聞いた。 向きが反対と違う? 遠心力はどうなったの?」と説明を求めてきます。
 向心力よりむしろ「遠心力」になじみがあり、これは生徒に限らず、物理を習ったことのない、あるいは習ったけれども忘れた一般の大人にも共通しています。 そこでしかたなく、「慣性力である遠心力」の話を始めるわけです。
 高校物理の教科書も同様で,必ず「等速円運動」の項目の後に「慣性力」が登場します。そこで「みかけの力」として「遠心力」を説明して、生徒達の不満を解消したつもりでいます。しかし本当のところ遠心力がみかけの力であることに納得している生徒達は何%位いるのでしょうか?
 円運動の説明で、教師がひもにつけたボールをビュンビュン回しながら、「ひもがピンと張っているのは向心力を出すためで、遠心力は単にみかけの力です。」と説明して誰が信じるのでしょうか。滑稽な話だと思いませんか。

(註) 遠心力とは、円運動という加速度運動に伴う、”慣性抗力”である。 つまり、円の中心に向かって絶えず速度ベクトルの向きを変えさせようとするのに、逆らう”慣性抗力(慣性抵抗)”であり、”みかけの力”ではない。
 詳しくは別ページの”慣性力についての対話”を参照して下さい。

物理教育と慣性力

 慣性力を隠して「力学」を教えることは決して教育的ではありません。上述の不条理を隠して教えても、生徒の直観に反する「力学」が定着するはずがないのです。実際、別ページで紹介する診断テストの結果はそのことを示しています。
     物理”診断テスト”と運動についての”常識概念” を参照
 「物理は難しい」とよく聞きますが、その原因の一端はそんなところにもあるのかも知れません。

 その物理診断テストで考え込んでいる生徒に、慣性力を紹介して『ダランベールの原理(慣性力と外力がつり合うように加速する)のような考え方もできるが、普通の「力学」では慣性力ではなく「単なる慣性」と「約束して作られている」のだ。』と正直に言うと生徒は少し安心します。
 どうも生徒の方が教師より直観的に「真実」を掴んでいるようです。
 

慣性力とその反作用

 物理教師の中で、慣性力が「みかけの力」であると主張される根拠の一つに「慣性力には反作用がない」という議論があるようです。
この議論に参加するには、”みかけの力”と”慣性力”の区別を明確にする必要があります。



 詳しくは私の別ページ(慣性力対話)参照。

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物理教育

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